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ベトナムからマスク10万枚 日本の労働者へ

阿佐部伸一ジャーナリスト
西成労働福祉センターの内屋さんにベトナム製マスクを手渡す西田さん(右)=筆者撮影

 4層の不織布で作られた立体型マスク10万枚が、ベトナムから日本へ届いた。

 そのうち段ボール箱10個に入った1万枚は5月21日、大阪市西成区の日雇い労働者の街、あいりん地区へ寄贈された。マスクを贈ったのは建設業の株式会社瑞光。社長の西田長徳さん(43)は「労働者あっての建設現場ですが、マスクを買えない人も多いなか、感染者が出ないように」と動機を話す。

 あいりん地区には現在1万6千人ほどの労働者が暮らし、約9割は建築土木に携わっている。生活保護受給者が大阪市で最も多く、路上生活者は千人を超し、高齢化率は60%に達しようとしている(国立社会保障人口問題研究所調べ)。結核患者も府下最多というこの地域に、新型コロナに感染すると重症化する可能性が高いとされる人たちが肩を寄せ合っている。

 瑞光はあいりん地区のほか、同社が事業所を置く大阪市や京都市、滋賀県へもマスクを寄贈。合計10万枚という大量のマスクをベトナムから輸入できたのは、以前からベトナム人の技師や技能実習生を受け入れ、ベトナムとの太い繋がりがあったからだった。2007年から7年間技師として大阪で働き、現在は帰国して技能実習生の研修所幹部となっている二ャットさん(39)に、瑞光は3月上旬マスクの調達を相談した。彼が中心となり、品質の良いマスクを短期間に大量に製造し、日本へ輸出できる企業を選定。3月末にはベトナム商務省の品質鑑定証明書が、4月20日にサンプルが到着。28日には10万枚の契約を交わし、今月15日に関西空港へ無事届いたという流れだ。

 マスクを個別包装しているビニール袋のラベルには、こう印刷されていた。「AAマスク。ベトナム人の健康を守るために。細菌と煙、埃を濾過して呼吸器を保護します。コロナウィルスの感染予防には、鼻と口の両方を覆うように着けてください。再使用する場合は、石鹸水で押し洗いして下さい。着用中や取り外した後、マスクの外側には触れないでください。製造HN衣料品」。ベトナム語だけで印字されていることからも、ベトナム国内向けの製品だ。しかし、マスクは新型コロナ以前よりは少し値上がりしているものの、市中どこでも簡単に入手できているとのこと。日本人が買い占めて迷惑をかけたということはなさそうだ。

 ちなみに、ベトナムは2月初めから中国との旅客便を停止したり、感染者が出た村を閉鎖するなど早めに感染防止対策を徹底させてきた。その結果か、新型コロナによる死者はゼロとされている。ニャットさんは「どこの国の誰もが新型ウィルスで苦しんでいます。困難な時に助け合うのは当然です。日本も頑張ってください」とメッセージを送ってきた。

 あいりん地区でマスクを受け取ったのは、西成労働福祉センター代表理事の内屋幸治さん(67)。同センターでは以前からインフルエンザなどの予防のために、日雇い労働者たちにマスクを毎日100枚配っていた。だが、新型コロナの流行が報じられるようになると、1日に400枚でも足りなくなり、大阪府に緊急事態宣言が発令された先月7日を待たずして、マスクの在庫は尽きていたという。

 マスクが寄贈された日は、奇しくも関西の2府1県の緊急事態宣言が解除されたその日だった。内屋さんは「解除になって、これから仕事も増え、またマスクが大量に必要になるところでした」と礼を言い、瑞光へ感謝状を手渡した。

 緊急事態宣言を受けてゼネコンらが公共工事などをストップしたこともあり、同センターによると4月の求人数は前年同月比でマイナス30・4%だった。工事現場は大型連休明けに順次再開されているが、内屋さんは「マスクを持っていないからと、仕事にありつけなかった人も実際にいたので、本当に助かります」と感謝の弁を繰り返した。自前でマスクを用意することを雇用条件にしている業者があるのだ。

 ガーゼ製で1枚200円程度といわれるアベノマスクにいたっては未だに受け取っていない世帯も多く、あいりん地区などに暮らし、自分の郵便受けを持たない人たちには未来永劫届かない。一方、ベトナム人たちが1枚あたり27円ほどで届けてくれた高品質マスクは、それを本当に必要としている人たちの手に渡っている。

ジャーナリスト

全国紙と週刊誌編集部、ラテ兼営局でカメラマンや記者、ディレクターとして計38年、事件事故をはじめ様々な社会問題や話題を取材・報道してきました。そのなかで東南アジアは1987年に内戦中のカンボジアへ特派員として赴いて以来、勤務先の仕事とは別にライフワークとしています。東南アジアと日本は御朱印船時代から現代まで脈々と深い繋がりがあり、互いに大きな影響を受け合って来ました。日本の人口減が確実となり、東南アジアの一般市民が簡単に来日できるようになった今、相互理解がますます求められています。2017年に定年退職しましたが、まだまだ元気な現役。フリーランス・ジャーナリストとして走り回っています。

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