2018年10月20日、JAXA・ESA共同の国際水星探査計画「BepiColombo(ベピコロンボ)」がついに打ち上げに成功した。日本からは水星磁気圏探査機「みお(MMO)」、欧州からは水星表面探査機「MPO」という2機の探査機を組み合わせ、水星の磁場や地球と異なる特異な磁気圏、希薄な大気や表面のようすを観測する。打ち上げから水星到着までおよそ7年(2025年12月到着予定)という長い探査の始まりだ。

ベピコロンボの2機の探査機のうち、水星磁気圏の観測を行うJAXA 宇宙科学研究所の「みお(MMO)」撮影:秋山文野
ベピコロンボの2機の探査機のうち、水星磁気圏の観測を行うJAXA 宇宙科学研究所の「みお(MMO)」撮影:秋山文野

同じ2018年の10月、NASAのボイジャー2号が太陽系の縁に近づいてきたと発表された。ボイジャー1号に続いて、41年にわたって地球から約177億キロメートルという距離を飛行し続けているボイジャー2号。1970年代、この探査機を打ち上げに導いたNASA ジェット推進研究所(JPL)の重要人物と、ベピコロンボ水星探査機の名前の由来となった科学者には、あるつながりがある。

水星の自転と公転の謎を解明し、探査機が赴く方法を考案したジュゼッペ(ベピ)・コロンボ博士。Credit: ESA
水星の自転と公転の謎を解明し、探査機が赴く方法を考案したジュゼッペ(ベピ)・コロンボ博士。Credit: ESA

これまでに水星を探査した宇宙探査機は、フライバイ探査を行った1973年打ち上げの「マリナー10号」と、周回探査を行った2004年の「メッセンジャー」(共にアメリカ)という2機の探査機だけだ。「ベピコロンボ」という名称は、このマリナー10号と関わりがある。イタリアの数学者・天体力学者ジュゼッペ(ベピ)・コロンボ博士はマリナー10号が水星を探査する軌道を提案した人物だ。そのときのことは、『ロケットガールの誕生』にこう書かれている。

一九七〇年にJPLで開催されたマリナー10号に関する会議の席で、コロンボは、水星に二回接近できる方法を提案したのだ。

出典:『ロケットガールの誕生:コンピューターになった女性たち』第10章 最後の宇宙女王

このときのエピソードは、NASA ジェット推進研究所(JPL)でマリナー計画に深く関わり、1976年から1982年までJPL所長を務めたブルース・マレー博士の著書『Journey Into Space : The First Thirty Years of Space Exploration』に詳しく著されている。後にJPL所長として火星探査機バイキング、そしてボイジャー探査機の打ち上げを率いたマレー博士とベピ・コロンボ博士との出会い、そしてマリナー10号の実現までを紹介しよう。

■水星の公転と昼夜の謎

JPLの母体であるカリフォルニア工科大学(カルテク)では、1960年代の後半にまだどの国も(旧ソ連も!)実現させていない水星探査の検討を行っていた。水星には謎が多く、19世紀までは「水星の公転と自転周期は一致しており(地球の88日)、水星は太陽に常に同じ面を向けていて昼の側は非常に高温かつ夜の側は太陽系で最も冷たい場所」と考えられていた。1961年、欧州の学術機関は水星の公転周期を1万分の1の精度で求めることに成功。同じ年にミシガン州の電波天文学者が水星からの電波の放射を捉えることに成功した。驚いたことに、水星の夜の側から発された電波からすると、夜側は従来考えられていたほど冷たくないことがわかった。

水星の昼の側から夜の側へ熱を運んでいるものは何なのだろうか? 大気だとすると、水星に反射した太陽光のスペクトルを分析しても二酸化炭素のように熱を運ぶことができるガスは見つからない。大気があったとしても、主成分は当時は不活性なアルゴンガスだと考えられていた(現在はナトリウムと判明)。

1965年にはプエルトリコのアレシボ天文台が水星を観測し、自転周期は88日ではなく59日であることがわかった。ではなぜ従来は88日と考えられたのか? これを解決したのがイタリアのパドヴァ大学の天体力学者、ジュゼッペ(ベピ)・コロンボだ。コロンボは水星の公転周期と自転周期が3対2の共鳴関係にあることを論文で発表し、理論はすぐに天文観測によって確認された。水星は昼夜真っ二つに分かれている惑星ではなかったのだ。

水星への一度きりのチャンス

次第に謎が解明されてきた水星だが、そこへ探査機を送る方法を考案しなくてはならない。この答えを出したのが英国惑星間協会で、金星の重力を使って探査機の速度を変える方法を考案した。マレー博士が「スイングバイ」方式を知ったのはこのときが初めてだったという。ボイジャー、日本の「はやぶさ」を始め多くの探査機が利用してきたスイングバイ方式だが、実際に採用されたのはこれが最初で、マレー博士も「ペテンのような」方法だと感じたという。

1962年にはUCLAの研究者マイケル・ミノービッチが1970年と1973年に金星をスイングバイして水星に到達できるスイングバイ軌道を発見した。マリナー級の探査機であれば、アメリカの持つ大型ロケット・アトラス/セントールで金星を経由して水星に到達できる。ただし、チャンスは1回しかない。

1993年打ち上げ、1974年に水星に接近したNASAジェット推進研究所開発のマリナー10号。Credit: NASA/JPL
1993年打ち上げ、1974年に水星に接近したNASAジェット推進研究所開発のマリナー10号。Credit: NASA/JPL

NASAは1967年、水星・金星探査計画を1973年に行うと決定した。仮名称はマリナー/ビーナス/マーキュリーの頭文字から“MVM”と命名され、後にマリナー10号となる。当時、NASAの太陽系探査予算は縮小されつつあり、予算規模は9800万ドルとされた。1968年にアメリカの科学アカデミーはそれまで続けてきた同型の探査機を2機同時に開発する方式をやめ、「打ち上げを1回きりとすべき」との見解を発表している。「惑星探査はもはや原始的でリスクの大きい試みではない」というのがその理由だが、つまり「失敗は許さん」ということだ。

一度きりのフライバイ探査で、水星の昼の側を撮影し、夜の側で磁場を観測するにはどうすればよいのか。カメラでの撮像も、磁場の観測も外せない。マリナー計画では金星と火星の磁場を観測していますが、ちらにも地球のような磁場は見つかっていない。水星は火星より大きな鉄のコアを持っていますが、長い年月で惑星の内部はかなり冷えていて、磁場を生み出す活動は起きているだろうかという疑問がある。金星ほどではないにしても自転は遅く、それぞれ条件の違う惑星をなんとしてでも比較したいものだ。計画は、水星の「午後」の側から超望遠カメラで撮影し、夜の側に入って磁場の観測をするということになった。そのために高性能カメラも開発された。

ベピ・コロンボとの出会い

MVMことマリナー10号の計画スタートを控えた1970年2月、カルテクにてMVMの科学会議が開催された。マレー博士がベピ・コロンボ博士と実際に対面したのはこのときが初めてで、本にはこう書かれている。

そのとき、私はこの小柄ではげかかった、世界で最も魅力的な笑顔を持つ人物をかろうじて知っているという程度だったが、コロンボは近づいてきて私に話しかけた。

「マレー博士、マレー博士。イタリアに戻る前に、どうしてもあなたにお聞きしたいことがあります。探査機が水星に接近した後、太陽を周回する期間のことです。探査機を戻ってこさせますか?」

「戻って、来るですって?」

「そうです。探査機は水星に戻ってこられますよ」

「本当ですか?」

「確かめてごらんになったら?」

出典:『Journey Into Space : The First Thirty Years of Space Exploration』5. One Chance for Mercury

コロンボ博士の言葉は正しく、MVMは水星の公転期間88日のちょうど2倍である176日かけて太陽の周りを回って戻ってくることができた。少しの軌道修正で水星の2年ごとに同じ面を観測できる。打ち上げのチャンスは1度きりだが、ミッション期間を伸ばすことで更に多くの観測データを得ることができるのだ。

これが、ベピ・コロンボ博士が「マリナー10号の水星遭遇軌道を提案した」というエピソードの詳細だ。惑星探査の予算が縮小され、余裕を持った計画が難しくなる中で、軌道計画によってエクストラの観測機会を実現したのがコロンボ博士の提案だったというわけだ。

金星でのスイングバイ。Credit: ESA/ATG medialab
金星でのスイングバイ。Credit: ESA/ATG medialab

こうして、マリナー10号は世界初の水星探査を成功させる。続く「メッセンジャー」がその意思を継ぎ、そして「ベピコロンボ」が水星観測技術の父の名を背負って新たに水星へ7年の長い旅に乗り出したのだ。