Yahoo!ニュース

3年前のこの地で得た課題に対する完全解答を携えて、杉田祐一、ウィンブルドン初戦で快勝

内田暁フリーランスライター
(写真:アフロ)

面した4本のブレークポイントを尽く鋭いサーブで切り抜きぬけ、タイブレークの末に第1セットを奪い取るーー。

「何度もピンチがありながら、ブレークポイントをサーブで切り抜けられた。大事なところで自分の最高のパフォーマンスが出来ていることが自信になっているし、そこが成績も上げられつつある部分なのかと思います」。

2017年ウィンブルドン初戦ーーグランドスラムで初勝利を7-6,6-3,6-0の快勝で手にした杉田祐一のこの言葉は、3年前に同じ会見室で彼がこぼしたセリフを照射し、まるで影のように浮かび上がらせる。

3年前……彼は“18回目のグランドスラム予選挑戦にして、初めて本戦に上がった選手”という記録とともに、ウィンブルドンのコートに立った。その初戦で杉田が相対したのは、世界26位にして、芝を最も得手とするフィリシアーノ・ロペス。前哨戦を制し、自信を得ながらも疲労の色も濃く残す当時32歳のベテランは、それでも重要な局面になるほどプレーの精度を研ぎ澄まし、杉田の挑戦を7-6,7-6,7-6で退けた。

この試合で杉田が最も悔やんだのは、第1セットのタイブレークで5-1とリードし迎えた、自らのサーブの場面。第1セットを奪う大きなチャンスを手にしたが、ここで犯した1本のミスを機に、流れは大きく変わってしまう。

「トップ30の選手相手に、1本でもミスをすると、こんな展開になってしまうのか……」。

試合後に悄然として、杉田は件の場面を振り返った。また、このタイブレーク以前にも第1セットでは複数のブレークポイントを手にしたが、そのたびに左腕から繰り出されるロペスのサーブに、あるいは攻撃的なネットプレーの前に機を逃す。

「下のレベルだとミスをしてもまたチャンスが来るが、今日はそれが見いだせなかった。ロペス選手は、前哨戦で優勝して体力的にも厳しい中で、タイブレークを取り勝つ。そのあたりは、さすがだと感じました」

彼我の戦力差を噛みしめるように、杉田は敗因を分析した。

それから、3年ーー。あの日の杉田の言葉はそのまま、昨日の試合で杉田に敗れたB・クラインが思ったことであったはずだ。第1セットではブレークポイントを握るたびに、杉田のサーブに凌がれた。タイブレークでは1-5から追い上げるも、最後は杉田の攻撃的かつスキのないプレーに突き放される。

「彼はサーブが速くなり、より攻撃的になっていた」

かつて共にダブルスを組んだこともあるクラインは、杉田の成長を素直に称えた。

前哨戦を制したため体力的に「キツかった」のも、今年の杉田と3年前のロペスの符号だ。その3年前にロペスと戦うことで教わった「ツアーでコンディションを整え、5試合連続で戦っていける体力と心を作っていかなくてはいけない」というレッスンに対し、彼は今年、完全解答を携え“始まりの地”へと帰ってきた。3年前に145だったランキングも、今や44位である。

その地位に相応しい実力を発揮し、初戦を突破した後の試合で、杉田はロペスと再び戦う可能性もあった。しかし、今年も前哨戦2大会で決勝に勝ち進んでいた35歳のロペスは、初戦の途中で足を痛め、無念の棄権を余儀なくされる。代わりにウィンブルドン2回戦で杉田を待つのは、僅か4日前にトルコのアンタルヤ・オープン決勝で戦ったばかりの、アドリアン・マナリノ。これもまた、運命的な巡り合わせだ。

辿ってきた足跡が、各々の選手が背負う種々の物語と想いを絡めとりながら、複雑に交錯し物語をつむぐーー。そんな“ATPツアー”という戦いの場に、今の杉田は身を置いている。

フリーランスライター

編集プロダクション勤務を経て、2004年にフリーランスのライターに。ロサンゼルス在住時代に、テニスや総合格闘技、アメリカンフットボール等の取材を開始。2008年に帰国後はテニスを中心に取材し、テニス専門誌『スマッシュ』や、『スポーツナビ』『スポルティーバ』等のネット媒体に寄稿。その他、科学情報の取材/執筆も行う。近著に、錦織圭の幼少期から2015年全米OPまでの足跡をつづった『錦織圭 リターンゲーム:世界に挑む9387日の軌跡』(学研プラス)や、アスリートのパフォーマンスを神経科学(脳科学)の見地から分析する『勝てる脳、負ける脳 一流アスリートの脳内で起きていること』(集英社)がある。

内田暁の最近の記事