なぜ今、企業経営に「倫理」が求められるのか 「パーパス経営」の理想と現実をつなぐ判断軸
優れたプリンシプルは、その企業や組織から離れても、そこで経験を積んだ人間の身体知として埋め込まれている。筆者が今なお「まじめな異論」(東洋経済新報社が掲げるパーパスでもある)を唱え続けるのも、マッキンゼー時代のプリンシプルが、刻印のように体に刻み込まれているからだろう。 ■「パーパス経営」第2章へ そろそろ、パーパスを額縁から取り出し、1人1人が実践する段階へと進みたいものである。「パーパス経営 第2章」の幕開けだ。
そのためには、パーパスの自分ごと(マイパーパス)化だけでは足りない。パーパスはしょせん、「あったらいいな」という夢でしかないからだ。一方、現実は二律背反どころか「多」律背反だらけ。あちらを立てれば、こちらが立たず。きれいごとのパーパスだけでは、そのような現実を夢に近づける際の役には立たない。 パーパスを実践するためには、プリンシプルを経営者自ら、そして組織のメンバー1人1人に実装していく必要がある。多くの企業は、「フィロソフィー(企業理念)」「バリュー(価値観)」「カルチャー(企業文化)」などを高らかに掲げている。しかし、残念ながら、多くの場合、これらも「きれいごと」になってしまっている。
たとえば、「公正」や「挑戦」などという掛け声をよく見かける。しかし、そのような企業ほど、不正がはびこっていたり、挑戦できてないというのが実態である。パーパスは「夢」でよい。しかしプリンシプルは、現実の判断の軸となり、実際の行動に移さなければ意味がない。「ありたい姿」を唱えていても始まらないのだ。 パーパス経営の第2章は、いかにパーパスに魂を入れるかが課題となる。そのためには、パーパスを振りかざすだけでは能がない。それを実践するための判断軸としてのプリンシプルをしっかりと打ち立て、それを、経営者から現場まで、1人1人が自律的に行動できるまで、信念として心と体に刻む必要がある。
そうなって初めて、冒頭で述べた自律的な統治、すなわち、自治(セルフガバナンス)がみなぎった組織へと変態(メタモルフォーゼ)することができるはずだ。
名和 高司 :京都先端科学大学教授