南海トラフ地震で想定津波高34m! "日本一危険な町"から激変した高知県黒潮町の現在
「そういうことになりますね」(同課) と落ち着いた声で答えてくれた。いったいこの12年間で町に何が起こったのか? 現地に赴き、松本敏郎町長と町の防災を担当する情報防災課の担当者に話を聞いた。 今回、役所への問い合わせがなかったそうですが。 「2012年の発表以降いろんな対策を講じてきた結果、地震が起きたとき何をすべきか、町に問い合わせなくてもみんなわかっているという証しだと思います」(松本町長) ちなみに、松本町長はもともと町の職員。東日本大震災を受けて、町が情報防災課を2012年4月1日に新設した際の初代課長だ。そして4年前に町長に立候補。なんと全投票の97%を獲得して当選した。 防災課長に就任した後、何からやり始めたのか? 「まず、やらねばならなかったのは、あの発表を聞いた町民の中に蔓延(まんえん)し始めていた『もう死ぬしかない。避難しても一緒』という諦めや避難しない、つまり避難放棄の意識を変えていくことでした。 最初の発表の『34.4mの津波が2分で来る』という数字のインパクトが強すぎたのですが、国の2回目のより精度の高い、地域ごとの情報の発表では34mは町のわずか1ヵ所だけで、町のほとんどに来る津波はそこまで高くない。 到達時間も黒潮町の沿岸に到達するのが最短で8分。街中だと10分以上かかる所がほとんど。長い所では20分、30分かかる場所もあるんです。だから地震が起こってもすぐに避難すれば理論上は町民全員が助かるわけです。 また、過去に黒潮町を襲った津波の記録の古文書をひもといてみると、町は津波で破壊されても、津波が来るのが遅く全町民が避難できたため、ひとりも死んだ人はいなかったという記録もあるんです」(松本町長) その考えをどのように広め、共有していったのか。松本町長に続けて聞いた。 「思想や理念を町民みんなが共有する言葉としてあったほうがいいということで、作ったのが『あきらめない。揺れたら逃げる。より早く、より安全なところへ。』というスローガンのような言葉でした。『あきらめない』という、避難放棄を絶対許さないとする町から一番届けたいメッセージ。それを最初に持ってきました」 そして、思想や理念が固まったら次に、それに従った具体的な"指針づくり"を手がけていったという。