今田耕司「独身男子は、酒の席で聞く“家庭の愚痴”にだまされてる」結婚にポジティブなのにできない理由
暗闇の中にいた10代 目標がないことが一番つらかった
――「今田さんに結婚して幸せになってほしい」と後輩芸人が口を揃えます。 今田耕司: そこそこ幸せなんですけどね。いや、じゅうぶん幸せです。考えられないですよね、10代の自分を振り返ったら。こんな人生があるとは思っていなかった。 ――10代の頃はどうだったのですか? 今田耕司: もう真っ暗闇の中にいるような感じですよ。もちろん自分がさぼってきて、勉強もやってこなかったからなんですけど、先が見えない。夜間高校でしたから昼間仕事をするのですが、何をやっても続かなかったです。バイトを半日でやめたこともありました。 手に職をつけないといけないと思い、美容師になると決めていたんですけど、皮膚科に行くと「皮膚がすごく弱い体質」と診断され、「パーマ液は絶対に無理」と言われ、完全に挫折しました。加えて、やりたいことがなかった。若いときって目標がないのが一番つらい。当時は夢も目標もなく、フラフラ過ごしていました。 ――お笑いの世界に入ったのはなぜですか。 今田耕司: たまたまバイト先の先輩がNSC(吉本総合芸能学院)を教えてくれたのがきっかけです。当時NSCの入学金が4万円くらいで自分でも払えるレベルだったし、学校が実家からも近かったので、ちょっと面接行ってみようという感じです。そもそも自分がお笑いで通用すると思っていないので、試しに1年間通ってみるかと。ところが実際にNSCに行くと、舞台に立ちたいという目標ができたんです。 ――いったい何があったのですか? 今田耕司: まず、うめだ花月のステージを見て衝撃を受けました。お客さんが入りすぎてドアが閉まらないぐらい満員の劇場。ステージで先輩芸人が演じると、ドーン、ドーンと地響きのような笑いが起きる。すげえなあと。それを体感して、夢ができたというか、いつかここに立ちたいと憧れたんです 次に衝撃を受けたのがダウンタウンさん。当時はまだ全然売れてなくて、キャパ100人弱の劇場だったのですが、そのネタがとにかく斬新で面白かった。花月と違い客層が若いというのがまた新鮮で、今度はこっちに出たいと思いましたね。 それからオーディションに受かり、気がつけばあっという間。何をやっても続かなかったダメな僕が、38年間お笑いだけでここまでやってこられて感謝しかないですし、めちゃめちゃラッキーだと思います。 ――そんな今田さんが、結婚してさらに幸せになってくれたら、喜ぶ人も多いのではないですか。 今田耕司: いやいや、僕の人生、上出来すぎます。満たされているぶん、結婚できないのはしょうがないかなって思う自分もいて、これで理想の結婚なんかできたときには、バチが当たるんじゃないかなと思いますもん。神様に「そんなわけあるかい!」と突っ込まれるんとちゃうかな(笑)。 ==== 今田耕司(いまだ こうじ) お笑い芸人。1966年3月13日生まれ、大阪府大阪市出身。A型。吉本興業のタレント養成所NSCの大阪4期生。フジテレビ『ダウンタウンのごっつええ感じ』などで全国区の人気を博し、多数のバラエティ番組の司会としても活躍。