中井美穂「偽善者っぽいと言われることも」 それでもがんの啓発活動を続ける理由
フリーアナウンサーの中井美穂さんは、過去に腹膜炎を患ったことをきっかけに1年間人工肛門を経験した。当時の経験を活かし、現在はNPO法人キャンサーネットジャパンの理事として、がんの啓発活動を行っている。活動を続ける中で「1年しか人工肛門を経験していないのに、自分が発信してもいいのか」と思い悩んだこともあるという。それでもなぜ自分の経験を発信し続けるのか、話を聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオ/Yahoo!ニュース Voice)
「まるでペットを飼うような気持ちになった」人工肛門で腸に愛着
――中井さんが人工肛門をつけることになったのは、どういったきっかけだったのでしょうか。 中井美穂: 2002年に腹膜炎という腸が破れてしまう病気になり、人工肛門をつくることになりました。簡単に言うと腸の悪いところを切って、腸の突端をお腹のところにピョッと出す処置です。お腹に梅干しがついているような状態になるんです。そこから便を排出します。はじめは、機械みたいなものをガチャっとつけてそこから便を出すと思っていたのですが、すごくシンプルだったので驚きました。 私の場合は1年間だけの一時的な処置だったので、人工肛門をつけながら仕事もしていましたし、海外旅行や温泉にも行って、アクティブに過ごしていました。いまは腸をつなぎ直して、一般的な肛門を作っているので普通の人と変わりません。ただ、予期せぬ病気で1カ月以上入院したこと、人工肛門で1年間過ごしたことなどを経て、自分の腸に愛着がわきましたね。 ――「腸に愛着がわく」とはどういうことなのでしょうか。 中井美穂: 人工肛門に「光圀(みつくに)くん」と名前をつけたんです。もちろん由来は水戸黄門(笑)。皆さんもお腹を下すことがあると思いますが、人工肛門のときにお腹を下すと、袋がすぐにいっぱいになって、漏れてきちゃったりするんですよね。夏になると汗で袋が剥がれてしまい、漏れてしまうこともありました。なので、まるで暴れん坊なペットを飼うような気持ちで過ごしていたんです。そうしているうちに大腸にすごく愛情を持つようになったんですよね。 自分の消化管を毎日見ることができるのって人工肛門患者だけ。胃カメラなどで見ることもできますが、普通は滅多に見ることがないじゃないですか。腸がウニュウニュと動いて、頑張って排泄をしてくれている。そうやって頑張っている光圀くんを見ると「君のおかげで生きていられるよ。ありがとう」と素直に思いました。 それから、腸のことをもっと知りたいと思うようになりましたし、同じような処置をされている方々のためにできることがないか考えるようになりました。偶然、がんに関する情報発信をしているNPO法人キャンサーネットジャパンの医療従事者の先生と知り合い、「協力してくれないか」とお声がけをいただき、10年ほど前からセミナーなどで司会をさせてもらっています。3年ほど前から理事になり、がんに関するセミナーや寄付活動、登壇などもしています。