消化器内科の常勤医から芥川賞受賞作家に。朝比奈秋「<生きるとはなんぞや>医師としての答えの出ない疑問が、膨らんで物語になる」
◆小説を書くために勤務先も辞めて ある日、医学論文の執筆中にふと頭に物語のイメージが浮かんできたんです。舞台はかなり昔。とある偉いお坊さんが、山の中で出会った木こりの姿に見とれる、という場面から始まる、寓話のようなものでした。 戸惑いながらパソコンに打ち込み始めたら、原稿用紙400枚分書いても終わらない。というのも、宗教上の難解な問題にぶち当たってしまったからです。八方ふさがりになり、未完のまま今もパソコンに眠っています。 完成を諦めた後も次々と物語が浮かんで、お坊さんの話とは別に100枚ほどの短篇小説が2つ書き上がりました。せっかくなので誰かに読んでもらいたいと思ったのですが、いかんせん小説を読むような人は周りに誰もいない(笑)。そこで、小説の新人賞に応募してみようと思い立ったのです。締切日が近く、枚数の規定が合ったものを探して見つけた、純文学の賞に応募しました。 それまで僕は、純文学とエンタメ小説の区別もついていなかった。それで、応募した後に東京の大きな書店に行き、純文学系とエンタメ系の小説を数冊ずつ買って読み比べてみたんです。 純文学で買ったのは、田中慎弥さんの『共喰い』と、西村賢太さんの『苦役列車』。偶然にも、ともに芥川賞受賞作でした。純文学というと教科書に載るような古典しか知らなかったので、「現代を描いてこんなに読ませる作品があるんや!」と衝撃を受けたんです。 ちなみにエンタメ系のほうは、なにを読んだか覚えていなくて……。たしかミステリー小説だったと思います。面白く読んだはずなのに、後に残るような衝撃は受けなかったということでしょうか。
プロの作家になりたいとも、なれるとも思っていなかったのですが、最初に応募した作品が三次選考まで残ったので驚きました。受賞には至らなかったものの、倍率1000倍のなかで数十人に残ったということは、なにかしら意味があるのではないかと感じて。 ただ、やはり「面白い小説を書きたい」「作家になりたい」という思いはなく、ただ次から次へ浮かんでくる物語を文字にしていくだけでした。 書く時間のために日常生活が圧迫され、ついには救急患者の診察中にも、執筆中の小説の続きが頭に巡っていることに気づいてゾッとして。このままでは医療事故を起こしてしまうと思い、勤めていた病院は辞めざるをえなくなりました。 それからは、非常勤医師として週に数日働きながら、ほかの時間をすべて使ってひたすら小説を書く日々。2021年に林芙美子文学賞を受賞してデビューを果たす前の数ヵ月は、非常勤さえ辞めて完全な無職でしたね。 「生活のほとんどを書くことに注いでいるんやから、せめてプロくらいならせてくれ」という切迫した思いで書いた作品でデビューすることができたのです。 (構成=山田真理、撮影=本社・武田裕介)
朝比奈秋
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