日本で一番多い名字「佐藤さん」は実は名家・藤原家の末裔⁉ 180万人を超える大勢力
■関東一円に存続した佐藤さん 「佐藤」は現在、最も多い名字とされている。全国でおよそ180万人が名乗っているといわれ、東日本に集中しているという特徴がある。特に秋田県、山形県、宮城県といった東北地方を中心に広く分布している。「藤」がついていることからも明らかなように、藤原氏にゆかりのある名字で、もともとは藤原氏のなかでも「藤原北家」の系統である藤原秀郷を祖としている。秀郷は、生没年不詳ながら、平安時代中期に平将門討伐に際して多大な功績を残した武士として知られている。 秀郷の子孫が関東一円に多く存続したのは、秀郷が下野(現在の栃木県)、武蔵(現在の埼玉県・東京都)で勢力を誇った武士だからだ。この子孫のうち藤原公清(きんきよ)が左衛門尉(さえもんのじょう)という官職 に就いたことをきっかけに「左 (佐)の藤原氏」、という意味で「佐藤」の名字が生まれ、以降、世襲されてきたという。 一方、「佐藤」は地名を組み合わせたもの、との説も複数ある。ひとつは、下野国佐野(現在の栃木県佐野市)に赴任した藤原氏が、地名の「佐野」にちなみ、名乗ったというもの。もうひとつは、佐渡に移り住んだ藤原氏が「佐渡の藤原氏」という意味で名乗ったという説。後者の説については、佐藤を名乗った江戸時代の豪商である金沢屋に伝わっている。 全国で最も多い名字だけに、歴史に名を残した佐藤氏も数多い。『新古今和歌集』や『小倉百人一首』に複数の歌が入集している歌人の西行法師は、前述した藤原公清を曽祖父にもつ嫡流の人物で、本名を佐藤義清(よしきよ)という。義清はもともと平安時代末期に活躍した、鳥羽上皇の北面の武士であったが、23歳で家を捨てて出家した。そのため、佐藤本家は没落していったという。 また、源平合戦で源義経とともに平家と戦った佐藤継信と 忠信の兄弟も著名な佐藤氏だ。 現代においても、総理大臣を務めた佐藤栄作や俳優の佐藤浩市など、著名な佐藤氏は多い。 監修/木本好信、文/小野雅彦 歴史人2024年8月号『藤原氏1300年の真実』より
歴史人編集部