現役の僧侶が説く「理想の生き方」。孤立を深めてしまう“思い込み”は捨てること
身内を頼らずに孤立して死んでいく高齢者
しかし、個人個人の暮らしにおいても、お金さえ出せば、家事のアウトソーシングもできますし、掃除も洗濯も発達した機械がやってくれます。 だから、「自分は自立している」「自分ですべてできる」と思い込み、自分が万能だと勘違いしてしまう人も出てきます。すると、他人を必要としなくなり、徐々に孤立を深めてしまうのです。 人との結びつきが希薄になり、それが高じると、たとえば会社では「この社員が辞めても替えはいくらでもいる」と思ってしまいますし、家庭では「いつでも離婚してやる」と思うようになります。人を人と思わない傲慢な人間関係が蔓延する社会ができ上がってしまいます。 逆に、助けが必要な側も、だれにも甘えられず、ひとりでがんばろうとしてしまい、孤立する人が増えています。最近では、死ぬ間際においても迷惑をかけたくないからと、終活まで身内を頼らずに自分ですませようとする高齢者が増えています。
若い頃は自分も傲慢だった
私自身も、振り返れば、非常に傲慢だった時期があります。 とくに若い頃は、「親に育ててもらったのに生意気だ」とか「親に感謝しろ」というようなことを言われるたびに反発して、「自分はだれの世話にもならずに生きている。だれにも文句は言わせない」という調子でした。 だれかに世話をかけっぱなしで、なにひとつ自分ひとりで成し遂げたことなどないにもかかわらず、そう思い上がっていたのです。 それが、あっちで失敗して助けられ、こっちで失敗して助けられ、といったことを繰り返すうちに、ひとりで生きていくことはできないのだ、と気づきました。 大事なのは、自分ひとりではなにもできないことを知ること。そして素直に助けを求めること。助けてもらったら「ありがとう」と言ってほほ笑むこと。社会には人を助けたいと思っている人がたくさんいます。 そんな人は、助けられることも喜びですが、助けることも喜びだと知っています。しかし残念なことに、日常においてなかなかそのチャンスが巡ってこないのです。