皇帝カリギュラはどれほど嫌われていたのか? 最も敬愛されたリーダーの息子が歩んだ悲劇
情報源の信頼性は?
それでも、「カリギュラと同じ時代を生きた人々の証言に疑問を持つことは重要だ」とバレット氏は述べる。当時、最も信頼できる年代記執筆者だったタキトゥスもカリギュラについて書いているが、残念ながら、その記述は失われてしまった。 残された歴史には、「皇帝に関する『ばかげた』記述が含まれている」とバレット氏は語り、スエトニウスそして同時代のカッシウス・ディオの名前を挙げ、追い詰められた皇帝のスクープを狙うタブロイド紙の記者に例えた。 カリギュラの振る舞いは確かに残酷だったが、スエトニウスやディオの記述ほど興味をそそるものではなかったようだ。 カリギュラは神のように扱われることを望んだという広く知られている記述を例にとろう。ローマの植民地では、いわゆる「皇帝崇拝」を受け入れなければならなかったため、これはおそらく普通のことだったはずだ。ただし、バレット氏によれば、ローマやイタリア国内で同様の要求があったことを裏付ける硬貨のような証拠は存在しない。 カリギュラの馬を執政官にしたという悪名高い話もあるが、これは実現しなかった。バレット氏はこのエピソードについて、いら立った皇帝が元老院の敵をあざ笑っただけだと推測している。敵があまりに無能で無益なため、動物で代用できるとカリギュラは考えたのだ。
なぜ語り継がれるのか?
しかし、たとえ歴史に残る悪事の数々がつくり話だったとしても、カリギュラのとてつもなく大きな悪名が現在まで続いているという事実は変わらない。2000年近く前、その治世が4年足らずで終わった男の悪評が今も続いているのはなぜか? 「人は悪役が大好きです」とバレット氏は話す。そして、カリギュラが現在も名声を保っているのは、そのカリスマ性と同時代の人々に対する敵意のおかげだ。 バレット氏によれば、もうひとつの要因がある。ときの流れだ。あまりに長い年月が経過し、「カリギュラは今の私たちとあまりに異質な世界に属しているため、心を痛めることなく、彼の悪事を楽しむことができるのです」
文=Erin Blakemore/訳=米井香織