皇帝カリギュラはどれほど嫌われていたのか? 最も敬愛されたリーダーの息子が歩んだ悲劇
精神的な問題?
しかしその後、状況が一変した。即位から半年ほどたったころ、皇帝の振る舞いに変化が起きた。性格が変わったのは重い病気のせいだと考える歴史家もいる。しかし、バレット氏に言わせれば、「ハネムーンが終わり、重圧がのしかかってきた」のだ。 行政的そして政治的な負担が明らかになると、未熟で準備不足の皇帝はその称号に恥じないよう奮闘した。訓練を受けておらず、臣下と長老院の信頼を維持する政治的手腕に欠けていたカリギュラは失速し始めた。 やがて、カリギュラは敵を攻撃し、金のかかる無謀な軍事作戦を要求し、妻の暗殺まで命じた。快楽主義者の皇帝が実の姉妹であるユリア・リウィッラ、(第5代ローマ皇帝ネロの母親になる)小アグリッピナと性的関係を持ったといううわさも流れた。 結局、自身の治世に対する陰謀らしきものを発見し、カリギュラは2人を追放した。さらに、カリギュラは論争を呼び、元老院をあおって屈辱を与え、あちこちで暗殺を命じた。 こうした気まぐれな行動、そして、体が不自由になった剣闘士と野生動物を戦わせるようなことをしたと非難されていることから、カリギュラはある種の気分障害や精神疾患だったのではないかという臆測を呼んできた。遡及(そきゅう)的な診断では、てんかんから脳炎まで、ありとあらゆる病名が付けられている。 しかし、バレット氏は、カリギュラは正気だったと考えている。もしそうであれば、カリギュラのカジュアルな残忍さはより一層邪悪なものに見える。 「最後の最後まで、カリギュラは理性的な判断を下していました」とバレット氏は語り、錯乱したヒトラーではなく、スターリンに例えた。「彼は現実と空想の区別がついていました」。しかし、皇帝の現実は完全な権力、つまり、戦略的かつ意のままに操る特権だった。 この力はうぬぼれにつながる。「彼は街に足を踏み入れたとき、元老院と民衆の全員一致で、完全かつ絶対的な力を手にした」と、カエサルの伝記で知られる歴史家のスエトニウスは主張している。しかし、カリギュラの皇帝としての力は当初から、何万匹もの動物の血に染まっていた。「国民は歓喜に沸き、3カ月足らずで……16万匹を超える動物がいけにえにされたと言われている」