5か月の営業停止もリストラせず コロナ禍と向き合う木下大サーカスの「鉄則」
平田が指摘した通り、木下には悲壮感のかけらもない。あっけらかんと語る。 「物事はね、悪くなると思ったらどんどん悪くなるし、よくなると思ったら、どんどんよくなるんですよ。要は、信じることができるかどうか。それって、リーダーの資質として、ものすごく大事なことだと思うんです」 とはいえ、先立つものがなければ、いくら信じても立ち行かなくなる。
「もちろんです。その点、うちは内部留保があった。ずっと黒字経営を続けていたので、ある程度の預金があったということです。それもコロナが長引いたことで、いくらか借りなければならなかった。でも10億までなら、借りられると思っていたから」 その数字には根拠がある。木下が社長を継いだのは1991年、40歳のときだった。3代目の兄が亡くなり、突然、お鉢が回ってきた。当時、会社には約10億の負債があった。税理士からは会社をたたむことを勧められたが、木下は「あと1年で100周年を迎えようという会社を潰したら先祖様に顔向けできない」とあえて剣が峰に立った。
代々伝わる商売の「セオリー」
木下家には、創業者である祖父の代から伝わる商売の鉄則がある。「一場所、二根、三ネタ」が、それだ。4代目の木下は、先人の教えに忠実だった。 「サーカスは何より場所が大事。人に人相があるように、場所にも『地相』というものがあるんです」 サーカス小屋は、テント自体が宣伝塔となる。交通の便がいいことも重要だが、真っ赤なテントが映えるロケーションであることも大事だった。この夏は、無理を押してでも大阪城公園内の敷地に定めた。木下が振り返る。 「公園内は水たまりができないように、地面の下に排水用の水路があるんです。なので20トントラックを入れるためには分厚い鉄板を敷かなければならなかった。それが本当に大変でね。搬入作業でこんなに大変だったこと、ないんじゃないかな。でも、ここでやると決めたら、やるんです。決めれば道は開かれるんです」