「ちゃんと触れていかないと、母の尊厳を回復できない気がした」画家・弓指寛治さんが語る、亡き母のこと #今つらいあなたへ
うつで苦しんだり、病気を苦にしたりして、自ら命を絶った人。不慮の交通事故で亡くなってしまった子ども。弓指寛治さん(35)の絵には、この世を去った人が描かれる。そこで表現されるのは、死の悲しみや理不尽さというよりも、その人がいかに生きたかという、「生」の手触りだ。弓指さんの画業の始まりは、母の自死とともにあった。「何度も語り直すことはつらくありません。そういう意味での配慮はしやんでいいです。なんでも聞いてください」という弓指さんに、自死遺族としての思いを聞いた。(文:長瀬千雅/写真:後藤勝/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
「顔見たってくれる?」
弓指さんは今夏、東京・南青山の岡本太郎記念館で、公開制作に取り組んだ。テーマは、昭和20(1945)年5月の山の手大空襲。24日からの連続した空襲で、米軍は東京の広い範囲に大量の焼夷弾を投下。犠牲者は3600人にのぼった。青山周辺も焼け野原になり、表参道に遺体が積み上がったという。 「戦争の記録ってどれだけ読んでも生き残った人の証言じゃないですか。死んでしまった人がどう思っていたかは書かれていない。ぼくは死んでしまった人のことを考えたい。もし自分が(上空の飛行機を見上げて)あの高さから焼夷弾を落とされて、逃げる間もなく死んだとしたら、『あれが降ってこなかったらよかったのに』って思いながら死ぬ気がするんです。そういう絵です」 弓指さんにとって芸術とはすなわち、死者と向き合うことだ。世に出るきっかけとなった作品「挽歌」(2016年)は、「母の自殺」が主題である。 2015年10月、母・美晴さんが自殺した。妹から電話を受け、東京から実家のある伊勢へ向かった。新幹線がひどく遅く感じられた。夜10時に伊勢市駅につくと、いつも母がいる場所に、親戚のおばさんがいた。
「ぼくを迎えにきてくれてるんですけど、なんでおばちゃんがおるのやろと思うんですよ。無言でセレモニーホールへ行って、おばちゃんに『顔見たってくれる?』と言われて、白い布をめくったんです。そのときの顔が忘れられない。自分の知っているお母さんじゃなかった。それがいちばんつらかった。理解できずにいたら、横にいた妹が『ああ、でもましになっとるわ』って言ったんです。これはいったいなんなんやろう。母の顔見て涙が出てくるけど、オートで発動しとるだけなんですよ。悲しいかどうかまで、気持ちが追いついてない」 ほとんど眠れずに翌朝を迎えた。うとうとしてパッと目を開けると、母の洗濯物が目に入った。 「なんで干してあるんやろう、永遠に取り込まれることもないのにって。わからないんです。今はこうしてお話しできますけど、そのときは本当に、地獄の底に突き落とされたような気持ちでした。このへん(と胸に手をやる)をこう、両手でぐじゅーっと押されるような感じで、苦しくて仕方ない。それがずっと続くんです。永遠に続くんかなと思うぐらい、つらいんです」