「ちゃんと触れていかないと、母の尊厳を回復できない気がした」画家・弓指寛治さんが語る、亡き母のこと #今つらいあなたへ
「見せようかどうか迷ってるんですけどと言ったら、見せてくださいと言われて、ゲンロンカフェに展示した『挽歌』の写真を見せたんですよ。小さいプリントだったんですけど、そうしたらみんな、すごいすごいって言ってくれたんです。いいねえ、カラフルだねえとか言って。それまで2時間ぐらいひたすら沈み続けとったその場が、沈むためにあるんですけど、明らかにふっと上がる気がしました。そしたら主催者の人が、『弓指さんこんな大きいの描くんですね、がんばってくださいね』って言ったんです」 隣にいた人が即座に「『がんばって』はダメです」と注意して、その場に笑い声が上がった。 「絶対笑ったりしない場所なんですよ。それでぼくは、大丈夫かもって思ったんです。あんなふうに空気が変わって、主催者の人が絶対言ったらいかん言葉をぽろっと言ってしまうぐらい、この絵にエネルギーがあるのなら、自殺に関してやっていくことはできるかもしれんと思いました」
死者との向き合い方は変わっていく
弓指さんはその後も、80年代に自殺した著名なアイドルや、児童6人が死亡した交通事故など、自殺や事故死を主題とする作品をつくり、展示した。身内以外の死を扱うことに批判がくることも考えられたが、弓指さんの仕事ぶりは、遺族にも鑑賞者にも受け入れられた。 現在は、2019年に亡くなった祖父が経験した太平洋戦争を主題に、作品を制作している。冒頭の山の手大空襲を、祖父も目撃していた。伊勢から、茨城県内原(現在は水戸市)にあった満蒙開拓青少年義勇軍の訓練所に行く途中、品川付近で見たという。 「自殺した人を得体(えたい)のしれないものとして扱うからタブーになるんですけど、ぼくが『得体のしれないものじゃない』と思えるのは、お母さんが死んだことがあるから。戦争のことも、そこからずっとつながっています。絵画のいいところは、大勢の人に向けてやるものじゃないところ。偶然出合うってことがあるから、何かのアンテナにひっかかって、ぼくの絵を必要としている人に届いたときに、いちばん効果を発揮すると思う。そういうふうに届いてくれたら、幸運だなと思います」