「ちゃんと触れていかないと、母の尊厳を回復できない気がした」画家・弓指寛治さんが語る、亡き母のこと #今つらいあなたへ
弓指さんが幼いときに父は家を出ていき、美晴さんは音楽療法士やピアノ講師として働きながら、3人の子どもを育てた。地域の高齢者施設で、美晴さんの音楽の時間は人気があった。 2015年7月、交通事故にあい、首の骨を折るなどで入院。東京のアートスクールに通っていた弓指さんは実家に帰り、母の看病をした。美晴さんはひと月後に退院したが、「死にたい」と頻繁にこぼすようになった。手術後の経過は良好だったが、本人は「地に足がつかない」「ふわふわ感がある」と訴え、将来の不安を抱えて、自分を責めるようになった。 「それはうつなんですけど、そのときはそんなことわかれへんから。最初は、母さんそんなこと言わんといてって諭すような感じやったけど、もういい加減にしてくれってなるんですよ。同じことを何回も言うし。体も治ってきてるんやから、様子見ながらやるしかないよと強く言ってしまったりして。これはあかんと思って、一回東京に戻ったんです。一緒におるときついと思ったから」 母が死んだと電話を受けたのは、その数日後だった。
「母は飛んでいったんや」
あんな言い方しなければよかった、こうすれば止められたかもしれない。終わりのない後悔に襲われた。 「年間で2万数千人、亡くなる人がいますけど、それって警察庁が発表した数でしかないから、もっといっぱいおるはずなんですよね。それで、亡くなる人一人につき5人ぐらい、近しい人に死にたいって相談をしとるんです。それは別に脅しで言っとるわけじゃなくて、めちゃくちゃつらい、この気持ちをわかってほしいという意味で『死にたい』と言う。実際、ぼくだけでなく、妹やおばちゃんも相談を受けていました。 自殺した人と残された人は分断されます。なんでこんなことにって思うし、自分がどんどん苦しくなる。じゃあお母さんは何か悪いことしたかというと、してない。自殺した人って、悪いことした人みたいに扱われるじゃないですか。例えば、お葬式はやめとこうとか、近所の人には言わんとこうとか。みんなタブーにする。でもぼくは、母が悪いことをしたとは思えへん。母親は、けっこうがんばって生きてきた人のはずで。55で亡くなったんですけど、交通事故に遭ったのが7月で、自殺したのが10月。たった数カ月のできごとで『自殺した人』と扱って、あとの54年をなしにするのは、おかしいと思ったんです」