「野球やめます」清原正吾の引退決断ウラ側…恩師への報告は“車の中”だった「方向性が決まりました」密着記者が見たドラフト指名漏れ“その後”
「引退の報告」は車の中で…
指名があれば野球を続ける。指名がなければきっぱりと野球界から離れる。正吾はそう心に決めてプロ志望届を提出していたのだ。 それでも監督の堀井は、慶早戦の結果によって、正吾が心変わりするのを密かに期待していた。堀井が正吾からの電話連絡を受けたのは11月22日の朝。「方向性が決まりました」という正吾に対して、堀井は「直接会って話をしよう」と伝えた。明治神宮球場で用事のあった堀井は、それを終えてから球場にほど近い「カフェ・ベローチェ」の前で正吾をピックアップし、自家用車の助手席に乗せた。 堀井 これからどうするんだ? 正吾 野球はやめて、違う道に進もうと思います。自分で声明文も作りました。野球部を通して発表してもらおうと思ってます。(オファーのあった9球団に対し)お断りの連絡を入れていただけますか。 堀井 わかった。明後日の日曜日(11月24日)に私の方から連絡を入れておくようにするから。 正吾 よろしくお願いします。 たったそれだけの短い会話だった。22歳の決断に対し、堀井は翻意を促すことなく、カフェから1kmも離れていない表参道で正吾を降ろした。 堀井は言う。 「彼の葛藤がものすごくわかっていたからこそ、多くの言葉を交わす必要もなかったんですね。ドラフトから1カ月近くの時間があった。親御さんも含めていろんな方に相談もしたでしょう。私個人としては野球を続けて欲しいという気持ちはありましたが、彼の言葉を聞いて、受け入れました。受け入れたというのはおかしいのかな。彼の意思を尊重することにしました。すべての学生に対して言えることですが、野球を終わってからの人生の方が長い。どんな道に進むにしても頑張って欲しい。ただそれだけです」 なぜ正吾は野球から離れ、新たな道を歩むことを決断したのか――。幼なじみと恩師が、正吾の素顔と、その決断の理由について言及した。 〈つづく〉
(「大学野球PRESS」柳川悠二 = 文)
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