【木暮ジャパン応援対談|西谷良介×渡邉知晃】「想定外が起きた時に、本来の自分の力が出る」|フットサル日本代表
2022年10月、クウェートでの優勝から約1年半。 4月18日から、フットサル日本代表が約12年ぶりの「自力でのワールドカップ出場」、そして「大会連覇」を目指す戦いが幕を開ける。 2021年の木暮賢一郎監督就任以来、“木暮ジャパン”は細やかなチーム戦術と個の技術を高めながら、ヨーロッパや南米の強豪国とも善戦を重ねてきた。 一方「アジアには、世界とは違う難しさがある」と語るのは、元フットサル日本代表の渡邉知晃と西谷良介だ。 2014年大会の栄光、2016年大会の屈辱、起死回生を誓った2018年大会──。 過去3度大会出場し、酸いも甘いも経験した“先輩”が、過去大会の裏側と今大会に臨む“後輩”たちへの想いを語る。 取材・文=青木ひかる 編集=本田好伸 ※インタビューは2024年4月8日に実施(4月15日に追加招集について加筆)
アジアカップは短期スパンの集大成
──いよいよ始まるAFCアジアカップ2024を前に、2014年、2016年、2018年の3大会に出場した2人から「アジアカップ」のお話を聞かせていただきます。 西谷 3回も出たんでしたっけ?2014年のアジアカップって? 渡邉 ベトナムで優勝した時だよ。 西谷 そっか。ちょっと何年とかまでは覚えてないですね(苦笑)。 ──話しながら思い出していただきます(笑)。日本代表にとって重要な大会であるアジアカップにはどんな気持ちで臨んでいましたか? 渡邉 W杯は4年に1回で、アジアカップは2年に1回。大きな公式大会はこの2つで、アジアカップは「短期スパンにおけるチームの集大成」という位置付けですね。 西谷 そうだね。自分たちがどの立ち位置にいるかとか、自分たちが歩んでいる道のりは間違ってないかを確認するための目安になる重要な大会だと思って戦っていました。 ──初めて2人が出場した2014年大会は、現役でプレーされていた木暮賢一郎監督や小宮山友祐さん(バルドラール浦安監督)が代表から離れた世代交代のタイミングでした。「俺たちの時代だ!」といったギラギラした雰囲気もあったのでは? 渡邉 2012年のW杯で一区切りがつきましたけど、ミゲル・ロドリゴ監督が継続して、メンバーが大幅に変わりました。2012年は経験できませんでしたが、アジアインドアゲームズでは同じようなメンバーでアジアの国と対等にやれていたので特に不安はなかったですね。ギラギラというよりかは、若いメンバーでどこまでいけるんだろうというワクワクのほうが強かったかな、と。 西谷 トモが言うように、自分たちに大きく期待した初めての大会だったよね。優勝したとはいえ難しさを感じましたし、アジアで日本はリスペクトされているんだという新たな発見もありました。 ──当時のお互いの印象は? 渡邉 パッシャンは代表の軸になれる力があるのに、最初の頃はクラブでのパフォーマンスを代表で出しきれていない印象があったのたので、いつ定着するんだろうなって(笑)。 西谷 いつも俺のほうがテンパりながらやっていたよね(笑)。トモはどんだけ落ち着いてんねん、と。漂う雰囲気というか、私生活もそうだけど常に落ち着いていて堂々としている。年齢は一つ下だけど頼もしかったですね。落ち着きは当時のチームで一番だったんじゃないかな。 ──ちなみにこの大会では、2人ともゴールを決めています。 渡邉 俺のは決勝戦ですね。でも、オウンゴールだった(笑)。やべっちFCでは俺のゴールになっていたけど、自分でもあれはオウンゴールだと思っています。 西谷 俺のはたしか、キックインから?(皆本)晃のパスだったと思う。 渡邉 たしか、負けた試合だよね。 ──戦いながら「優勝できそう」という感覚はありましたか? 渡邉 優勝できる力はあると感じたところでウズベキスタンに負けたので、少し焦りました。まさか予選で負けるとは思っていなかったので。 西谷 負けたことの危機感は覚えてる。そこで自分たちが国を背負っている重さや、「こんなところでつまづいちゃいけない」という緊張感を感じられた一戦でしたね。 渡邉 あそこから「もう負けられない」って、優勝までいけた気がします。 ──優勝した時の気持ちは? 西谷 素直にうれしかったし、簡単に優勝したわけじゃないから、若い世代で接戦を制してタイトルを取れた安心感もあって、二重の喜びでしたね。思い出に残る優勝だった。 渡邉 どん底から上がったこともそうだし、若手に切り替わって初めて優勝できた達成感はすごくあったよね。あとは「初めてイランに勝って優勝した大会」でもある。長年のライバルに勝って優勝できたのはうれしかったですね。ただ……自分は食中毒になって半分それどころじゃなかった(苦笑)。もう時効だろうけど、選手の8割くらいが体調を崩していて、まさに満身創痍。みんなドクターから薬をもらってたからね。 西谷 そうだったっけ?その記憶がない(笑)。 渡邉 パッシャンは生き残った数人だったんだね。俺は準々決勝から帰国後まで全く治らなくて、5分おきにトイレに行ってたくらいだから……。 西谷 マジか!決勝もめちゃくちゃ落ち着いてたけど(笑)。