【木暮ジャパン応援対談|西谷良介×渡邉知晃】「想定外が起きた時に、本来の自分の力が出る」|フットサル日本代表
歴代最強が転落した地獄のロッカールーム
──2016年は、前回大会でイランを破って優勝した経験もあり、選手たちの士気もそれまで以上に高まって「いけるぞ!」という自信があったのでは? 西谷 他の選手はわからないですけど、俺はなかったですね。いつも緊張しながらやっていたので、「いけるぞ」という感覚は正直なかった。 渡邉 メンバーもほぼ固まってきていたし、海外遠征や直前に国内で戦った親善試合でも、2012年のW杯でベスト4に入ったコロンビアに連勝したこともあったから自信はあったかな。でも、2014年も優勝できたけど余裕はなかったから、この時も「いけるぞ」っていう感覚もなかったし、おごりもなかったと思います。 ──当時のメンバーはメディアでも「歴代最強」と取り上げられていました。 渡邉 結果論から言えば、最低でしょ(苦笑)。 西谷 名古屋組も多かったし、“1敗の怖さ”を知っているから「俺たち最強」と思っていた選手はいないと思う。だから結果を残せなかったあの時は……ねえ、トモさん。 渡邉 振り返りたくない。 西谷 振り返りたくないですね。 渡邉 当時は、「過信があったんじゃないか?」と周囲からも言われました。でもパッシャンが言ったとおりで、「いけるぞ」という気持ちはなかった。一つ挙げるなら、「W杯出場権獲得」より「連覇してW杯に出る」という目標設定だったからかもしれない。W杯出場にフォーカスできていなくて足元をすくわれたとは考えられます。 ──「W杯出場」が大前提の目標だったわけですね。 渡邉 そうそう。あとは、世界と戦えるクオリティと自信はみんながもっていた。「たられば」だからわからないですけど、W杯に出ていたらやれていたかもしれない。でも、「対世界」と「対アジア」との戦い方が違った。それまで、アジアの対戦相手ではなく、ヨーロッパや南米との強化試合でレベルアップを図ってきたので、アジアの国に対する慣れという部分では薄かったかもしれないですね。 西谷 それはチーム全体にあったように思う。だから、敗れたベトナム戦も2-0とリードしたところから、追い上げられて、終盤に失点を重ねるという想定外の事態に備えられていなかった。ミスを気にしすぎてドツボにハマって、みんな普段のプレーができなくなってしまいました。 ──翌日のキルギスとのプレーオフも気持ちを切り替えられなかった? 西谷 どうにか切り替えようとはしたけど、短時間で回復するにはえぐられた傷が深すぎた。 渡邉 でも俺なんて、この時も体調不良でプレーオフを欠場しているからね。だからみんながどうやって負けたのかも、その後どうなったかもわからない。 ──吉川智貴選手に先日話を聞いた際にも当時は「日本に帰りたくなかった」と。家族にさえも会いたくなかったと話していたのですが、2人はどんな心境でしたか? 西谷 無力感とか、虚無感しかない。体も心もめちゃくちゃ重たかったし、やってしまったというのがずっと乗っかっている感じがして。本当にきつかったですね。 渡邉 ダブルの意味でしんどかった。ベトナム戦を終えて、地獄のような空気感のロッカーを最後にチームと行動できなかったので、キルギス戦に負けるにしても、同じ空間で共有したかった。そのまま帰国したので、何も考えられなかったですね。これからどうしようという感じでした。 ──試合後、監督からはどんな言葉が? 渡邉 ベトナム戦後は、泣いている選手もいるし、うなだれていて、とても次の日に試合できる雰囲気じゃなかった。その時のミゲル監督の言葉はよく覚えていて。「こういうどん底に突き落とされた時に人として試される。そういう時に力を発揮できるのが本当の良い選手だぞ」って。 西谷 うん。でもキルギス戦後は、ベトナム戦の時よりも地獄のようだったよ。選手だけじゃなくて、スタッフも全員。監督も相当なダメージだったと思うし、一人ひとりに一言ずつ声をかけるくらいだったように思う。もはや記憶もあいまいだね。