「この木なんの木」と深い縁、ポール与那嶺の半生 ポール与那嶺さんにインタビュー(前編)
やりがいはありましたが子供が3人いて、報酬面でやはり魅力的じゃなかった。民間に戻らなくちゃいけないというときに、日立コンサルティングの社長の話があり、そして日本アイ・ビー・エムにつながる。 鍵になるライフイベントには必ず竹中さんがいます。借りを返さないといけない。ほかにも竹中チルドレンがたくさんいましてね、みんな竹中さんへの恩を忘れていない。世の中悪くないなと思いますよ。 ―――いわば「竹中道場」ですね。竹中さんにはしつけというか、大事にされていたことはありますか。
よく言われたのは、「感謝」「謙虚」「根性」の3Kです。つねに謙虚さを持ちながら、手伝ってもらった人たちに感謝して。そして最終的には企業のリーダーには根性がないと決していい経 営ができないと言っていました。たまに竹中さんは3つ目のKは「工夫」ということもおっしゃっていたけど、私はやっぱり根性じゃないですかと言っていました。 やはり正しいことをするのは根性がものすごく必要ですね。正しい方向に進む場合に、必ず外野からいろいろ言われることはあるんです。だけど、根性でやり遂げるしかない。最終的には結果によって周りが判断するものです。
短期的にみんなに好かれたいからというのでは、経営者やリーダーには絶対なれないですよね。中長期的にチームメンバーやコミュニティー、社会に貢献することに対して判断することが大切だと思っています。 ■ダニエル議員から聞かれたこと ―――もうお二人、親交の深い日系人の方といえば、ハワイ出身のダニエル・イノウエ連邦上院議員とアイリーン・ヒラノ・イノウエさんがいらっしゃいます。ポールさんはお2人が創設した「米日カウンシル」の理事長に指名され、2022年まで後継を務められていますね。追悼の意味も込めてお二人との思い出を聞かせてください。
ダニエル議員とは私が小学生の頃からの長い付き合いでしたが、社会人になって初めてワシントンでお会いしたときに、彼から「自分自身に対して何にいちばんプライドを持っているかわかるか」と聞かれたんですよね。 「なんですか」と尋ねると、彼がハワイからワシントンに行き議員になってから、ほかの議員が「ジャップ(日本人に対する差別的表現)」という言葉を 使わなくなったことだ、というのです。それがいちばん印象的でした。