東京都心にカワセミが生息している。地形と都市開発を「観察」する
柳瀬:だから、僕の場合、1回観察し始めると、カワセミはみんな2人称になって、「あんた」とか「君」とか、「おい、そこの小僧」になるんだけど、それでも物理的には、彼らの中には入らない。そうやって見ると、カワセミに感情移入するから、カワセミが何をしても面白く見えてくる。例えば、水中の葉をエサに見立てたひなのエサ取りの練習、巣立ちを促す親鳥のツンデレ、魚とりに飽きたお父さんの水浴び、などなどです。 こうして柳瀬の写真を見ていくと、カワセミの「生活」って感じがするね。 柳瀬:生活しているでしょう。カワセミの生活にお邪魔をしているわけ。最近読んだ本で気づいたんですけれど(※)観察というのは「動詞まで追いかけること」なんですよ。 ※『ゲームは「動詞」でできている』浅野耕一郎著、田尻智監修 どういうこと? ●カワセミの「動詞」を追いかける 柳瀬:ほとんどのカワセミ写真の人たちは、カワセミの名詞を集めているだけなんですよ。「カワセミが飛ぶ」じゃなくて、「飛んでいるカワセミ」なんですよ。観察するなら「餌を取っているカワセミ」じゃなくて「カワセミが餌を取っている」でないと。 うーん、概念的というか、なんか難しいこと言ってない? 柳瀬:いや、簡単です。観察というのは動詞まで含めて追いかけること、動詞があるということは、すなわち時間軸、空間軸が入る、ということなんですよ。空間なら地理だとか、時間なら歴史だとかですね。名詞だと2次元、それが動詞だと3次元、4次元になる。1枚の写真で完結するなら2次元。でも、カワセミが何かをしていることを、物理的な移動、時間的な経過を含めて追うことで、動詞が入って3次元、4次元になる。 そういえば本でも餌場の移動を追いかけたり、カワセミ家族の成長を追ったりしていたね。 柳瀬:カワセミの動詞を追いかける、どうやって暮らしているの、どうやって子供を育てているの、そもそもどうして東京に戻ってきたの、と、感情移入しながら考えて、さらに観察する。そこで見えてくるのは、東京のカワセミの新しい暮らしぶり。都心の人の手が入ったコンクリート張りの川で擁壁の水抜き穴などを巣にして、シナヌマエビや、アメリカザリガニなどの、外来種を主にエサにしている。 じゃ、カワセミが暮らす都心の川はどこから始まるのか。まず川そのものは、小流域の源流部からスタートするわけです。都心の大きな川でいえば、例えば石神井公園の三宝寺池から流れてきた、石神井川。善福寺公園の善福寺池から流れてきた善福寺川、あるいは妙正寺公園の妙正寺池から流れてきた妙正寺川。井の頭公園の井の頭池から流れてきた神田川、洗足池から流れてきた呑川という形で。これらの池は全部湧水由来です。そして、以上の湧水のある源流部はちょうど標高50メートルなんですよ。 面白いよね。地下水脈が地上に出てくる高さなんだっけ。 柳瀬:そうそう。武蔵野台地の帯水層の高さがあって、標高50メートルくらいで地表に水が湧く地点がいくつかある。それが源流となっているのが東京の都市河川ですね。都心部では新宿御苑が源流の渋谷川があります。明治神宮も渋谷川の支流の源流域です。 で、注目すべきは、都心の湧水地です。明治神宮も、白金自然教育園も、有栖川公園も、渋谷川の支流にあたります。いずれも、崖から泉が湧いて、小さな支流の河川流域、小流域が形成されている。そして、東京のカワセミは、神田川や渋谷川や目黒川といった都市河川に戻ってくる前に、まず都心の湧水地がある緑地に戻ってきたんですね。皇居も赤坂御所もそうです。 そういえば1987年に入社したころに石神井公園でもカワセミを見たし、大学に入ったころ住んでいた善福寺川沿いの和田堀公園にもいたな。