【能登地震から1年】土砂が崩れて、道が分断。身動きが取れなくなった母。3人の娘たちと夫と、離れて過ごした震災の夜
陸の孤島が一晩で解消。人々の尽力と優しさで果たした娘たちとの再会
翌朝。「明るくなったら、歩いてでも娘たちのところへ行こう」と夜明けを待っていた朋子さんにとって、うれしい知らせが待っていました。 「昨日土砂で埋め尽くされていたはずの道が、片側だけ通行可能になっていたんです。きっと作業した方も被災していながら、夜通し作業してくれたんですよね……。そう思うと、本当に感謝で一杯でした」。 同じ地震を経験しながら、それでもすぐに力強く動き出す人々。その尽力の甲斐あって、娘たちとの再会を果たした朋子さんは、そこでもさらに周囲の強さや優しさを感じたのだそう。 「娘たちは3人で過ごせたとはいえ、もちろん不安だったはず。そんな様子を気にかけて、周りの大人がたくさん声をかけてくれたのがありがたかったと話していました。私たちが再会した時には、『お母さんが来てよかったね!』と、一緒に喜んでくれました」。 夫・誠治さんとは相変わらず離れ離れでしたが、朋子さんはもう一晩、娘3人と消防署に泊まることを選択します。 「道が本当に通れるか確認せぬまま突き進むのが、怖かったんです。ガソリンがだいぶ少なくなっていましたから……。 私が震災当日を過ごした穴水町ではあちこちの道が寸断されて、『能登町にも輪島市にも行けない……』と右往左往する人々を目にしていました。だからこそ、見切り発車で動けませんでした」。 道の開通を確認し、誠治さんがいる能登町に帰れたのは、震災翌々日の1月3日。家族5人で顔を合わせホッとしたのも束の間、一家はそのまま地域の人々との2週間の避難所生活へと突入します。 ▶つづきの【中編】では、夫婦で頑張ってきた家業のしいたけ栽培。地震で栽培施設にも甚大な被害がでて、廃業も選択肢に…。そんななか、家族の関係性にもある変化が……をお届けします。
ライター/矢島美穂