4度のスーパーGT王者、ロニー・クインタレッリがニスモフェスティバルで万感フィナーレ。歴代パートナーや家族からねぎらい
12月1日、富士スピードウェイで行われた『ニスモフェスティバル2024』にて、2024年限りでスーパーGT GT500クラスのシートを降りる決断をしたロニー・クインタレッリ(MOTUL AUTECH Z)が、イベントフィナーレの場にて、集まったファンへ向けて声援への感謝を伝えた。 【写真】サプライズ登場したご家族とのキャリアフィナーレとなったロニー・クインタレッリ/ニスモフェスティバル2024 2005年にスーパーGT GT500クラスデビューを果たし、2011年、2012年とMOLAでシリーズを連覇。2013年にNISMOへ移籍してからは、2014年、2015年でふたたび2連覇を達成し、スーパーGTでただひとり、4度目のシリーズチャンピオンに輝いたクインタレッリ。以降はNISMOのエースドライバーとして活躍し続けた。 最初の3年間をトヨタのチームで過ごし、2008年からはニッサンドライバーとして17年間もの間トップドライバーとして走り続けてきた彼は、今年11月に引退を宣言。一週間後に行われるスーパーGT第5戦を最後に、シートを降りることを決めた。 富士スピードウェイで行われた恒例のファン感謝イベント『ニスモフェスティバル2024』に参加したクインタレッリは、イベントで同乗走行やトークショーに出演したのち、フィナーレの場にて、集まったファンへ向けて長年送られた声援への感謝を述べた。 「挨拶できる場を作っていただき、ありがとうございます。最初は、(当時住んでいた)山口県のマンションで、J SPORTSで初めてスーパーGTを目にして、赤いレーシングスーツを着た選手が赤いクルマで勝ったのを観たのがはじまりでした」 「そして、オートポリスではじめて日産応援団を生で見たとき、皆さんのサポートを受けられるようになれたらいいなと感じました」 「2008年にはニッサンのドライバーになることができ、それからいろいろな方々のお世話になって、晴れてこの日を迎えることができました」 「これまで残してきた成績や、たくさんの仲間たちができて、僕にとって幸せな17年間でした。本当にありがとうございました」 「来週末は、鈴鹿サーキットでスーパーGTの最終戦があります。そこでは僕の夢の舞台の最後をこの赤い23号車で、全身全霊で走りますので、最後まで応援よろしくお願いします!」 その後、初めてチャンピオンに輝いた2011年や2012年にコンビを組んでいた柳田真孝や、続いて連覇を飾った2014、2015年のパートナーであった松田次生、現在コンビを組んでいる千代勝正から花束を受け取り、各選手からそれぞれねぎらいの言葉が贈られた。 「本当にお疲れ様でした。これだけの皆さんに見守られて、23号車のドライバーとして引退できるのは中々ないことです。ロニーも言っているように、まだ最終戦が残っていますので、来週も頑張ってください」(柳田) 「本当に長い間、お疲れ様でした。カルソニックの間から11年間組ませてもらいました。同い年で切磋琢磨してきて、彼は本当に良いドライバーなので引退は悲しいですが、ロニー選手の気持ちを胸に自分もまだまだ頑張っていきたいと思います」(松田) 「ロニーさん、本当にお疲れ様でした。僕はずっとロニーさんの活躍を後輩として見てきて、ずっと憧れの先輩でした。ドライバーとしての速さやレースに向き合うストイックさ、本当に尊敬しています」(千代) 「来週のレースは最高の形で締めくくれるように頑張りたいですし、これからのニスモは、ロニーさんの背中から学ばせてもらったことを受け継いで僕たちが頑張っていきますので、これからも応援してください」(千代) そしてここで、ピットウォール側からクインタレッリ夫人とご息女がサプライズ登場。花束を手渡し、夫人からは、「今日は、ロニー・クインタレッリのためにこのような素晴らしい機会をいただき、長きにわたり応援してくださいまして、ありがとうございました。最終戦まで、どうぞよろしくお願いします」との言葉が贈られた。 一週間後にはスーパーGT第5戦鈴鹿が控えているため、現行のGT500マシンの走行は少なめとなったが、フィナーレ前には約2周ほどコースを走り、見納めとなる富士での勇姿をサーキット中のファンへ届けたクインタレッリ。ニスモフェスティバルに集まったたくさんのファンや関係者からの声援を受けた彼の、スーパーGT最終戦での走りからは目が離せない。 [オートスポーツweb 2024年12月01日]