〈総選挙 私はこう見る〉「『安倍晋三 2.0』 ── 戦略的解散の成功と憂鬱」 逢坂巌
戦略的解散
今回の解散、ジャーナリズムは、それが非常によく練られた戦略的解散であったことを報告しているが、興味深いのは、その過程で安倍首相が自らの「経験と挫折」のみならず、戦後政治の故事からいろいろと学習しているとされることである。読売新聞は、安倍は今回の解散にあたり中曽根康弘の「死んだふり解散」(86年のダブル選挙を行った際の解散)を参考にしたと指摘し(※3) 、朝日新聞は、安倍首相が祖父・岸信介の証言録を読み込みつつ、岸が行おうとして実現できなかった「60年解散」について、第2次政権発足直後から側近や閣僚たちに折にふれて話していたことを明らかにしている(※4) 。安倍首相本人も、政局運営、そして政治コミュニケーションのやり方を謙虚に過去から学ぶ。それが「安倍晋三 2.0」なのだ。 学習の効果があったのか、今回の解散劇は見事だった。そのタイミングは、政界、そして有権者の虚を衝き、野党はほとんど準備が整わないまま選挙戦へとなだれ込まざるをえなかった。 解散宣言後のPRにも学習効果はみられ、第1次政権とくらべると格段に進化している。例えば、第1次政権下でおこなわれた参院選では、そのテレビCMで「医療不足の解消」「年金制度の再構築」「環境へ主導力を示す」「公務員制度改革」「新憲法制定の推進」「教育再生」の「6つの約束」を訴えたことに象徴されるように、「安倍1.0」はいろんなことをやる、もしくはいろいろなことが出来る内閣であることをアピールしようとした。しかし、わずか30秒の間に6つも約束を盛り込むことに対しては(※5) 、広告関係者からも「いくらなんでも詰め込み過ぎだ」と失笑を買った。
しかし、今回はまったく異なる。安倍は「この道しかない」と、争点を経済のワンイッシューに絞り込み、解散宣言からテレビCM、そして選挙演説においても経済政策・アベノミクスを重点的に訴えている。この作戦は成功し、安倍の思惑通り、主要な争点は経済となった。野党、マスメディア、そしてネット上の議論の多くが、アベノミクスをどう捉えるかを語って、23日間しかない解散から投票日までの短い期間が過ぎていくことになる。アベノミクスに対抗しうる経済政策を準備できていない以上、この争点設定は野党各党にとっては初めから負けるための土俵であった。 野党は、このような安倍首相の仕掛けに対して、安倍は立憲主義がわかっていないとか、集団的自衛権の閣議決定が問題だなどと攻撃はしてみるものの、このような批判は有権者の心にはあまり響かない。なぜならば、有権者のど真ん中の関心は景気や社会保障であり、安倍が設定しようとした経済にあるからである。『地方消滅』といった本がベストセラーになっているように、地方の困窮はある意味限界に達している。そして、田舎だけでなく、東京の郊外でも高齢化と人口減少が目立ちはじめ、長期的な衰退が多くの人々に認識されるようになっている。 その中で、国債を日銀が大量に引き受けるという「奇手」を用いているなどとの難しい批判はあるのかもしれないが、とりあえず株価を上昇させ、様々な経済指標も好転させているとされる安倍首相は、衰退を潜在的に意識しはじめている多くの「普通の人」にとっては「福の神」であり、つい10年前には無駄なモノ、税金の無駄遣いと怒っていた公共事業も、なんとなく許せるものになっている。いわば、背に腹はかえられない状況が蔓延しつつあるのであり、そのなかで、自民党が唱えはじめた「地方創生」は、この選挙区から自民党の議員を選出しなければ、生き残るための最後のチャンスにありつけなくなる恐怖心をあおる効果をもっている。 このような構造のなか、安倍の演説を前にして聴衆は、胸の前に手を握り、あたかも祈るような姿で、最後の「福の神」らしき人物の演説に聴き入るのである。今回の選挙にあるのは、「期待」というよりも、最後の希望らしきものに対する「祈り」であるように思える。