だからユニクロは「大企業病」にならなかった…柳井正が2011年元旦に流した全社員メール"過激な言葉"の背景
ユニクロが大企業病にならず、成長を続けられるのはなぜか。ファーストリテイリング元執行役員の宇佐美潤祐さんは「柳井さんは毎年元旦に、全社員宛に1年間の方針をメールで流す。2011年に伝えた言葉はユニクロが社員に求めるものを象徴していた」という――。 【この記事の画像を見る】 ※本稿は、宇佐美潤祐『ユニクロの仕組み化』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。 ■2011年元旦に全社員に送られたメッセージ リーダーの仕事は「仕組み化」です。新しい仕組みをつくったり、仕組みをアップデートしたりすることこそがリーダーの仕事で、それ以外は部下の教育を除けば、言葉は悪いですが雑務といっても言いすぎではありません。 幹部クラスでしたら「どうすれば組織全体を変える仕組みをつくれるか」について考える必要がありますし、小規模のチームでも「チームにどういう仕組みがあればチームを変えられるか」を考えなければいけません。 ユニクロ(ファーストリテイリング)ではリーダーだけでなく働いている人ひとりひとりに「変革」を求めます。それを最も象徴している柳井正さんの言葉があります。 「CHANGE OR DIE」 柳井さんは毎年元旦に、全社員宛てに一年間の方針をメールで流します。「CHANGE OR DIE」は、2011年の方針です。「元旦からとても過激な言葉だな……」と思われるかもしれませんが、この言葉は柳井さんなりの社員へのカンフル剤だったのでしょう。 当時の業績は、08年秋に世界を襲ったリーマンショックから回復傾向にはありましたが、芳しくありませんでした。業績は経営陣の責任ですが、柳井さんとしては「働いている人全員に責任がある」という事実を徹底的に認識してほしいという思いがあったそうです。 ■ユニクロが大企業病にかかってしまう懸念 全員が失敗を認識し、自らの仕事を抜本的に変革し、新しい現実に対応していかなければ生き残れない。ひとりひとりが変わらないと世界と戦っていけない。そんな危機感から発せられた言葉なのです。 すでにこのころ、ユニクロは海外にも進出する大企業になっていました。地方発の中小企業として始まり、グローバル化とは縁遠いと思われていた小売りという業態でしたが、SPA(製造小売業)で大成功を収め、グローバルに事業を展開していました。 当時、店舗ごとの売り上げでも日本の店舗がすでに一番ではありませんでした。1位がパリ、2位がニューヨーク、3位が台湾、4位が銀座……と続いて、上位10位のうち、海外店舗が半分を占めていました。 それだけに、柳井さんの中にはユニクロが大企業病にかかってしまう懸念もあったでしょう。「CHANGE OR DIE」はそうした文脈から発せられたともいえます。私は大卒後、大手損保会社に勤めた後、米国留学を経て戦略コンサルティング業界で約20年働いていました。それから、ユニクロの経営者・人材育成機関(FRMIC: Fast Retailing Management and Innovation Center)の担当執行役員として入社しました。