「まずい」「なんていうラーメンを出してるんだ」との声も…。山形県の超人気ラーメン店「新旬屋 本店」が、東京でのイベント出店で得た学びと、そこから“再生”するまで
「ラーメン王国」と呼ばれる山形県で、とりわけ高い人気を誇る「新旬屋 本店」。県内の人気ラーメン店を決める地元局のテレビ番組では見事1位に輝き、山形市、鶴岡市、酒田市など大きな市の店ではなかったことも含めて、大きな話題となった。 【画像9枚】名店「新旬屋 本店」が誇る絶品ラーメン『金の鶏中華』はこんな感じ 店主は半田新也さん。温泉や道の駅など村の施設を管理する運営会社で働くなかで、今でも人気の特産品「戸沢流冷麺」の開発にかかわったことで製麺に興味を持ち、ラーメン業界に足を踏み入れたという、一風変わった経歴の人物である。
■近所から苦情が来るほどの人気だったが… 「新旬屋 麺」が人気になった後、「ラーメンバー」を営業していた半田さん。「新旬屋 麺」は朝11時から夜8時まで、「ラーメンバー」は夜9時から3時までと、文字通り不眠不休の生活だったが、新庄市では珍しい営業スタイルがウケ、店は爆発的な人気を誇った。 【画像9枚】ラーメン王国・山形県で人気トップに輝いた名店「新旬屋 本店」。絶品ラーメン『金の鶏中華』はこんな感じだ
だが、オープンから半年もすると、あまりの人気に近所からは苦情が来るようになり、半田さんは2店舗を移転して融合し、昼から夜間まで営業できるお店にリニューアルした。朝11時から夜3時まで中休みなし、定休日なしで営業をした。しかし、これが大失敗となる。 朝から晩まで営業している、ラーメン屋なのか飲み屋なのかわからないお店となってしまった結果、客足が遠のいてしまったのだ。また、時間によって作り手が変わった結果、肝心のラーメンの味のブレ幅も大きくなってしまった。
詳しくは前回の記事で紹介:山形で人気トップ「金の鶏中華」店主の痛恨の失敗 ラーメンバーで成功も、客の気持ちを見失って… その頃、売り上げを少しでも回復するために山形市にシミュレーションゴルフの会社をオープンし、半田さんは山形市に移ってしまった。本来はラーメンのテコ入れをしなければいけないところだが、足元が見えていなかったのだ。さらに2011年、東日本大震災が起こり、会社全体の売り上げは地に落ちる。