何台思い出せる? クルマの新技術が次々と登場した1980年代|国産車が世界へと飛躍する夜明け|ハチマル前夜
ハチマル世代と呼ばれる1980年代は、新車を出せば売れるという夢のような10年だった。販売が好調だったから、日本の自動車業界はアッと言う間に自動車大国への階段を駆け上がっている。バブル景気に沸き、新しい分野に踏み出すクルマも多かった。 >>【画像14枚】次々に新たなメカニズムや技術、装備が生まれた80年代。この10年こそが国産車が飛躍的に発展し、世界に通用するクルマが生まれた時代である。まさに日本の自動車産業は夜明けを迎えたのだった パワーユニットはDOHC4バルブが主役になり、ターボチャージャーな どの過給機を搭載するクルマも一気に増える。上級クラスはキャブレターに代わって電子制御燃料噴射装置を用いた。この流れは徐々に下のクラスへと波及し、90年代半ばにはキャブレターが消えていく。スポーティーカーだけでなく、軽自動車やレクリエーショナルビークルまでもが高性能になった。これが花のハチマル時代だ。 ユーザーの上級志向も強くなる。多くの人が、新車を買い替えるたびに上級クラスへとステップアップした。今と同じように、モデルチェンジのたびにボディは大きくなり、エンジンの排気量も大きくなっている。また、快適装備も数多く採用されるようになった。エアコンやパワーウインドーは身近な存在となったし、デジタルメーターも多くのクルマが採用している。 次々に新たなメカニズムや技術、装備が生まれた80年代。この10年こそが国産車が飛躍的に発展し、世界に通用するクルマが生まれた時代である。まさに日本の自動車産業は夜明けを迎えたのだった。 セダンはパーソナル志向を強め、4ドアハードトップが主役となる。ハイオーナーカーの代表だったマークⅡは80年秋に第4世代の60系に生まれ変わった。兄貴分のクラウンに負けない風格を備え、快適装備も充実させている。 また、チェイサーに続く兄弟車としてクレスタを送り出した。これに続く5代目の70系は、コロナの冠が取れてマークⅡとなる。クラウンとともに「ハイソカー」旋風を巻き起こし、スーパーホ ワイトのボディカラーが大ヒットした。 着実に進化を遂げたマークⅡ 3兄弟 エンジンは1G系の直列6気筒DOHCが主役となり、DOHCツインターボも設定する。バブルに向かう88年に6代目の80系にバトンタッチ。シャシーを一新し、6気筒モデルのリアサスペンションは高級なダブルウイッシュボーン、これに続くMS/GS120系クラウンはハイソカーブームをけん引した。そして87年秋にベールを脱いだ8代目のMS130系では上級グレードを3ナンバーのワイドボディとする。 マークⅡ GX61 80年にデビューした60系で新世代の6気筒エンジン「1G型」を投入。「純白」のスーパーホワイトを初めて設定したのも60系だ。そのカラーとともに大ヒットを記録した、ハチマル世代の代表作のひとつでもある70系へと進化。 GX71 ラグジュアリーかつスポーティーな70系は、1G型のツインターボやTEMS、デジパネなど、新たな武器を次々に手にしていく。そして88年、マークⅡ史上最大のヒット作となった80系がデビュー。 GX81 80系エンジンでは過給機を積極的に導入するとともに、2.5ℓや3ℓ化も進め、内装の高級感もクラウンに匹敵するほどだった。