【神宮大会】「松坂超え」を果たした横浜高1年生右腕・織田翔希 「『やってやる!!』という思いのほうが強い」
「自分の投球ができてよかった」
午前8時30分の試合開始に備え、事前準備にも抜かりはなかった。村田監督は1年生・織田と合宿所で4時起床。5時から学内にある人工芝の校庭で汗を流し、早朝プレーボールにピークを合わせる調整を繰り返してきた。 テーマは2つあった。まずは「入り」だ。 「チームとして『入り』を徹底している。初回、(イニングの)先頭を意識してきました。ピンチの場面では1個、ギアを上げる。走者を出したら併殺狙いなど、やるべきことに集中する」 次に、冒頭に語っていた「投げ切る」だ。 「監督との約束を果たせたので良かった。真っすぐ、チェンジアップは良かったですが、カーブが入らなかったので、スライダーでカバーすることができました」 明徳義塾高打線はバットを短く持ち、2ストライクに追い込まれてからは、カットで粘ってきたが、織田が動じることはなかった。 「カットされても、投げるボールに自信を持っているので、ビビったりすることはありませんでした。(捕手の)駒橋さん(優樹)を信頼して投げました。明徳義塾さんはこの秋の国体で優勝し、甲子園にもたくさん出場しているので負けられない。徹底力のあるチームで難しくなると思いましたが、自分の投球ができて良かった」 あこがれの松坂は1997年秋、2年秋の明治神宮大会で優勝。3試合で完封はなかった。つまり「松坂超え」となったわけだが、織田はあまり関心を示さず、何よりもチームの勝利を強調。松坂は98年夏の甲子園準決勝で明徳義塾高から救援勝利を挙げており、同校から全国大会で1勝をマーク。先輩と肩を並べたわけだが……。 「並んだとか言うよりは、ここに来たからには『やってやる!!』という思いのほうが強いです。この結果につながったので良かったです」 織田が1試合を投げ切れたのも、背番号1を着け、五番・左翼で先発出場する奥村頼の存在が支え。「後ろに控えていますから、安心して投げられる。頼人さんを信頼しています」。だが、エース番号へのこだわりは「1を着けたい思い? あります!! できるだけ早めに」と強くある。 「次も一戦必勝で、決勝に駒を進められたらいいです」。27年ぶりの「秋日本一」へ準決勝、決勝と万全のコンディションでスタンバイする。 文=岡本朋祐
週刊ベースボール