「今までにない体」千代の富士の“肉体改造”は宿敵もホレた…視聴率52.2%ウルフフィーバーのち「頂上で、崖っぷちなんだよ」35歳での引退
初優勝時は視聴率52.2%に到達
<名言2> 今までにないアスリートのような体で“新しい横綱相撲”を作り上げたのは、まさに千代の富士だったと言える。 (朝潮/Number908・909・910号 2016年8月10日発売) ◇解説◇ 1980年代に入ると、千代の富士はまさに昇竜のごとき勢いで角界を駆け上がっていく。 80年春場所から幕内上位に定着し、小結となった秋場所には横綱・北の湖の連勝を24で止め、九州場所には関脇として11勝4敗の好成績。大関昇進も一気に見えてきた。 そして翌81年の初場所、初日から14連勝を飾ると、千秋楽の本割では北の湖に敗れたものの、優勝決定戦では上手出し投げで放り投げ、初の幕内優勝を果たした。 この際のテレビ中継の平均視聴率は52.2%。巨人を長嶋茂雄監督が率い、松井秀喜や落合博満らを擁して人気全盛だったプロ野球の「10.8」やサッカー日本代表の「ドーハの悲劇」に「ジョホールバルの歓喜」、箱根駅伝でも超えられない視聴率をたたき出したのだ。
大関在位3場所で横綱…ウルフフィーバー
鋼の肉体を手に入れた「ウルフ」こと千代の富士の進撃は止まらない。 新大関になって直後の2場所を11勝4敗、13勝2敗の成績を残して優勝争いを繰り広げると、7月の名古屋場所で再び北の湖を破り、14勝1敗で2度目の幕内優勝。直近3場所で37勝という安定感を見せつけ、大関わずか3場所で横綱へと上り詰めた。秋場所は足を痛めて途中休場となったものの、つづく九州場所では12勝3敗の成績を残し、朝汐(朝潮)との優勝決定戦を制して横綱として初優勝を飾った。 重量級の力士だった朝潮は千代の富士と計46番対戦し、15勝を飾っているなど決して負けっぱなしだったわけではない。しかし極限まで肉体を鍛えた千代の富士の取り口は、角界が新たな時代に突入するものだったと、肌で感じていた。
貴花田の登場…俺が負けた方がいいのか
<名言3> みんな聞きたがるから「俺が負けたほうがいいのか」って、そんなやり取りをしたことを覚えているよ(笑)。 (千代の富士貢/NumberWeb 2023年4月2日配信) https://number.bunshun.jp/articles/-/857030 ◇解説◇ まるで彫刻のような肉体美でライバルたちを倒し続け、千代の富士は横綱の座を手に入れた。しかし、両肩の不安がぬぐい切れたわけではない。亜脱臼を含めると83年、84年、89年と左肩にダメージを負い、休場を余儀なくされながら横綱の座を守り続けた。 そんな中で時代は1990年代に。元号は昭和から平成に変わり、次なるスター候補として現れたのは貴花田(後の貴乃花)だった。91年夏場所前のけいこ総見ではぶつかり稽古で2人がぶつかり合う場面があった。 「盛り上げようというサービスでね」 こう千代の富士は語ったが、当時の世間の見立ては“世代交代”が果たされるのか――というものだった。そして本番の夏場所初日、18歳の貴花田と相まみえた35歳の千代の富士は寄り切りで敗れ、2日後にも2敗目を喫したことで、かの有名な〈体力の限界。気力もなくなり……〉との言葉とともに土俵を去った。
肉体美も「頂上であって、同時に崖っぷちなんだよ」
「頂上であって、同時に崖っぷちなんだよ」 『Number』の取材に対して千代の富士がこんな言葉を残したのは、すでに幕内優勝31回を達成し、昭和の大横綱、大鵬に並ぶ32回目の賜杯を目指している頃だった。鍛えた肉体美で長年頂点に君臨したものにしかわからない境地だった。 〈第1回からつづく〉
(「スポーツ名言セレクション」NumberWeb編集部 = 文)
【関連記事】
- 【秘蔵写真】「力士なのに腹筋がエグい…」「昔はガリガリだったのに」千代の富士の彫刻のような肉体美やカッコよすぎる土俵入り、「今はモデルの娘」を赤ちゃんで抱っこ…地元でリラックスする貴重な姿をまとめて見る(30枚超)
- 【つづき→】「ゴキッって音が」脱臼の恐怖を“鋼の肉体美”でカバー…千代の富士が伝説の横綱になれたワケ「肩に負担のかからない相撲を目指さなきゃ」
- 【こちらも→】千代の富士の“恐怖”「なぜ腕立て伏せ1日500回をノルマにしたか?」左肩脱臼、右腕大ケガ…伝説の横綱が明かした“苦手な力士11人の名前”
- 【こちらも→】「これで千代の富士も終わりか…」伝説の横綱を襲った“人生最悪の出来事”「俺が勝ったら、悪者だな」千代の富士が35歳引退で涙を見せるまで
- 【写真】「伝説のビール売り子」おのののかが披露していたビキニ姿(全6枚)