「今までにない体」千代の富士の“肉体改造”は宿敵もホレた…視聴率52.2%ウルフフィーバーのち「頂上で、崖っぷちなんだよ」35歳での引退
脱臼に苦しんでも筋力を鍛錬し、昭和の大横綱となった千代の富士。雑誌「Sports Graphic Number」「NumberWeb」掲載記事から“究極の肉体美ができるまで”を知る。〈全2回〉 【秘蔵写真】「力士なのに腹筋がエグい…」「昔はガリガリだったのに」千代の富士の彫刻のような肉体美やカッコよすぎる土俵入り、「今はモデルの娘」を赤ちゃんで抱っこ…地元でリラックスする貴重な姿をまとめて見る(30枚超)
徹底した筋トレ…「胸筋をピクピクさせろ!」
<名言1> うんと睨んで、それこそ胸の筋肉をピクピクさせてでも威嚇しろ。 (九重親方/Number271号 1991年7月5日発売) ◇解説◇ 後に「昭和の大横綱」となる千代の富士が抱えていた爆弾と言えば、両肩の脱臼である。癖になっていた左肩だけでなく、幕内定着を狙っていた1979年に右肩も痛めたことで、早期復帰は難しいかと思われていた。 しかしここで千代の富士は〈徹底的な筋力トレーニング〉で肩回りの筋肉を補強する。それによって弱点をガードするという策に出た。腕立て伏せは1日500回がノルマ、鉄アレイなどを使用して鋼の肉体を作り上げることに一意専心。春場所こそ途中休場して十両に下がったものの、サポーターをつけて挑んだ夏場所には9勝を挙げて幕内復帰。以降はいわゆる「ウルフフィーバー」を巻き起こすことになる。 筋肉の鎧を得た効果は大きかった。元横綱・北の富士である師匠・九重親方から伝えられた助言は対戦する力士をひるませる存在感を出すことができたし、何より相撲の取り口も変わったという。 若き日の千代の富士は豪快な上手投げに代表されるように、力士の中では小柄な体格ながら、投げ技で決めに行く傾向にあった。しかし右肩の脱臼をターニングポイントとして、スピードで上回るスタイルに変貌する。攻めようとする相手の機先を制して前まわしを取れば、鍛えた体とともに一気に攻め込んで土俵外へと追い込める。そんな効率的な相撲を求めていくようになった。 じつは千代の富士自身も思うところがあったようで、九重親方からこんな風に言葉をかけられていたそうだ。 「右肩まで脱臼した時、親方に、お前は、こんないい相撲を前に取ったこともあるじゃないか、それなら、肩にも負担がかからないし、いいんじゃないかと言われて、それが前まわしを取って頭をつける相撲だった」
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