開幕戦で狂った歯車…もがき苦しんだ1年 ヤクルト・山田哲人が戦っていたものと支えになった“存在”【2025復活にかける男】
一度狂った歯車はそう簡単に元には戻らなかった。24年のシーズン終了後。ヤクルト・山田哲人内野手は「今年はメンタルが一番きつかった」と“過去イチ”で落ち込んだシーズンだったと心境を明かした。 本当は振り返りたくもない1年だっただろう。昨年3月29日の中日との開幕戦(神宮)。2回先頭で中越え二塁打を放つと、続くサンタナの中飛で三進した際に右足を痛めた。3回裏に代打を送られ負傷交代。翌日にはファーム行きとなった。 オフの自主トレでは例年以上のトレーニングで自分を追い込んでいた。キャンプも順調にメニューを消化し、オープン戦は12試合で打率3割3分3輪、2本塁打、7打点。打撃フォームにも手応えを感じていた。「オープン戦からいい形できていて『これで行こう!』と思っていたものが狂ってしまった」。プロ14年目がスタートした矢先のアクシデントだった。 同4月20日に再昇格したが、その後も状態は上がらず、同5月6日に2度目の出場選手登録抹消を経験するなど1軍フル帯同はできず、110試合でレギュラー定着後では自己ワーストとなる打率2割2分6厘。盗塁数もわずか1個に終わった。「走るのが怖いというのは正直あった」。また同じ箇所を痛めたら…。背番号1は誰にも言えない恐怖と戦っていた。 支えになったのはファームで時には厳しく、時に優しく接してくれた池山2軍監督をはじめとする首脳陣とファンだった。「強気で接してくれる人もいたし、寄り添ってくれる人もいた」。叱咤(しった)激励してくれる優しさが身に染みた。来季は21年から結ぶ7年契約の5年目となる。「応援してくれる人のためにも」との思いは常に胸にある。 11月には高津監督との食事の席で「『お前がやってくれたらチームとして一番助かる」と主将を託された。「回りくどくじゃなくてストレートな言葉がうれしかった」と胸を打たれ、その場で引き受けた。チームを引っ張る覚悟が決まった。 「野球をやっている以上は結果が全て。(近年は)グラウンドに立てないことが続いている。1年間出られる強い体を作り直したい」。ミスター・スワローズの逆襲に向けた準備はもう始まっている。(ヤクルト担当・長井 毅) ◆山田 哲人(やまだ・てつと)1992年7月16日、兵庫・豊岡市生まれ。32歳。履正社高から2010年ドラフト1位でヤクルト入団。15、16、18年にトリプルスリー。通算1540試合で打率2割7分9厘、299本塁打、880打点、195盗塁。15、19年プレミア12、17年のWBC、21年の東京五輪日本代表。180センチ、76キロ。右投右打。年俸5億円。
報知新聞社