旅行ガイド『るるぶ』、安心の羅針盤 初心者向けに軸足 JTBパブリッシング 『るるぶ』(上)
旅行ガイドブックの『るるぶ』が「知る・つくる・学ぶ」という新機軸を打ち出した。もともとの「見る・食べる・遊ぶ」に加え、今の旅行マインドに目配りを利かせ、ようやく戻ってきた旅心の背中を押す。1973年に創刊した老舗ガイドブックの半世紀を超える長い旅程表を振り返ってみよう。 『るるぶ』が産声を上げた1973年はレジャーとしての旅行が盛り上がりつつある時期だった。当時の首相は田中角栄。山口百恵さんが歌手デビューし、江崎玲於奈氏がノーベル物理学賞を受賞した。この頃まで続いた高度経済成長の勢いは消費を押し上げ、旅行ブームを起こした。「ポスト大阪万博」を狙った、旧国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンも1970 年から始まっていた。
最初の『るるぶ』は雑誌だった。若い女性を主なターゲットに、月刊誌『旅』の別冊として誕生した。1970年代初めに相次いで創刊された女性向け雑誌『an・an』と『non-no』がいわゆる「アンノン族」を生んで、「女性の一人旅が人気を呼んでいた状況があった」と、JTBパブリッシング(東京・江東)の永島慎一郎経営企画部長は創刊のいきさつを明かす。 昔からのトラベラーにとって『旅』は懐かしい名前だろう。1924年に創刊。物資不足からいったんは刊行が止まったが、戦後の1946年に復刊した。作家・松本清張が小説『点と線』を『旅』に連載したのは1957年からだった。 1973年に『旅』の別冊として『るるぶ』が旅行雑誌の体裁で創刊された時点では、発行の母体組織は日本交通公社出版事業局だった。好評を受けて、月刊誌へ1976年に格上げされた(雑誌タイプは1997年に休刊)。 現在まで続く「情報版」と呼ばれるガイドブック形式の第1号は1984年の『るるぶ京都』だった。京都が最初のテーマに選ばれたのは、月刊誌で冬の京都企画が人気を集めたからだという。以後、『るるぶ』は各地域ごとのガイドブックを全国に広げていく。1987年に出した、初の県別タイプは『るるぶ埼玉』だった。 埼玉版が出た1987年は『るるぶ』にとって、新たなステージへ踏み出した年となった。海外版を立ち上げたからだ。初の海外版は『るるぶ香港 マカオ 広州 桂林』だ。ガイドブックを買い求めるタイミングは旅行が決まってからのことが多い。海外旅行は当日までの時間が長くなりやすいだけに、「プラン段階から興味をふくらませ、当日までも楽しめるよう、ワクワク感を重視している」(永島氏)。 1973年に創刊して以来、雑誌形式でタイムリーに読者の興味に寄り添い続けた約15年の経験が海外版でも生きた。バブル期に差し掛かり、海外旅行でも個人手配が増える中、海外デビューの不安をやわらげるような向き合い方でビギナー旅行者を旅へ導いたことが『るるぶ』ファンの裾野を広げたようだ。