女優・古村比呂「子どもには弱い自分を見せることができた」がん闘病中に支えられた息子たちの言葉
治療中は息子の言葉が支えに
――そもそも古村さんはどういったきっかけで最初にがんに気づいたのでしょうか? 古村比呂: 海外ロケに行く前に、ホルモンバランスを整えるお薬をもらいに婦人科に行ったんですね。そうしたら看護師さんが「検診を14年ちかく受けてないので、せっかくなので受けてみたらどうですか」と言ってくださって、そのときに受けた検診がきっかけで、がんがわかりました。 当時は検査結果が間違っているとしか思えなかったくらい、自覚症状がなかったんです。でも、先生から「万が一のことがあるかもしれません」と告げられたうえで、「早期発見できたので、できるだけ早く手術と治療をすることを考えてください」と言われ、がんと向き合わなきゃいけないんだなと思った記憶はあります。 ――がんになったことを、お子さんには伝えたのですか。 古村比呂: “子ども”に対してというよりも、一対一の“個人”として気持ちをフラットに話したほうがキャッチボールできるなと感じたので、話すことは決めていました。 ただ、できるだけ深刻には伝えたくなかったので、今日こんなことがあったよという会話をしているときに「そうそう、お母さんちょっと検査に引っかかって治療するかもしれない」と言いましたね。そのとき初めてがんっていうことも言ったんです。長男が大学1年生で、次男が高校3年生、三男が中学2年生だったときのことです。 ――お子さんの反応はいかがでしたか? 古村比呂: 「早く見つかったんだったら、早くがんを取って、また元気になればいいんじゃない」と息子が当たり前のことのように言ってくれて、「そうだよね」って。私もその言葉に背中を押されるように「早く治療すれば大したことじゃないな」と前向きにとらえられるようになりました。 「あなたに励まされるとは思わなかったよ」と息子に言ったら、「いや、別に励ましてるつもりはなかったんだけど」と言ってくれて。息子としては自然に出た言葉だったみたいですね。 ――現在は経過良好だと思いますが、がんの再発、再々発を経験されて印象に残ったことはありますか? 古村比呂: やはり息子たちのことですね。印象的だったことの一つが、治療中の通院で電車に乗るときに人身事故に遭遇したときのことです。少しパニックになってしまい、息子たちに「人身事故が起きて病院に行けない。あと何回か放射線治療を受ければいいだけなのに、この1回を逃したことで戻ったらどうしよう」と取り乱したメールを送ったら、次男からの返信に「そんな日もあるさ」って書いてあって。 そのとき、まるで昔のコントのように頭上から金だらいがゴンって落ちてきたような感覚で、目が覚めまして。自分一人が悲劇のヒロインのような気持ちでいたけど、息子のメールを見て「みんなそれぞれつらい悩みを持ってるよね。なんで私だけって思ってたんだろう」と思えて、それからは治療をつらいと思う気持ちもずいぶんなくなりました。 今振り返ってみると、自分の親に対しては心配をかけちゃいけないという気持ちから、不安を口にはできなかったんです。でも、なぜか子どもたちには弱い自分を見せることができて、がんの存在をグッと軽くしてくれるなど、いろいろなことを教えてもらえたなと思います。 ----- 古村比呂 1965年、北海道生まれ。1985年にデビューし、21歳のときNHK連続テレビ小説「チョッちゃん」のヒロインを務め、一躍人気女優に。2012年、子宮頸がんが発覚。2度の再発を繰り返したことを機に、2015年にリンパ浮腫情報交流サイト「シエスタ」を開設したほか、2019年より、がんと共に歩む応援活動「一般社団法人HIRAKU~人にやさしいプロジェクト」を展開し、がんとの向き合い方・予防の啓蒙等の情報提供を行う。 文・佐々木ののか (この動画記事は、TBSラジオ「荻上チキ・Session」とYahoo! JAPANが共同で制作しました)