なぜK-1は強行開催されたのにRIZINは大会中止を決断したのか…「損失は億単位」
真夏のメガイベントと言えば、2002年8月28日に国立競技場で開催された「Dynamite!」が思い出される。セミファイナルでは柔道の五輪金メダリスト、吉田秀彦が、格闘技転向のデビュー戦としてホイス・グレイシーと戦ったが「PRIDE」と「K-1」が合体して行われた歴史的なイベントだった。 榊原CEOは、さいたまスーパーアリーナを約3万6500人が収容できるスタジアムモードに広げて開催したいという。マッチメイクは、団体の枠を超えて、世界中からスターを集結させたい意向だ。 この日のネット中継では、ファンのチャットによる書き込みを募集していたが、やはり目立ったのが、社会的批判の矢面にたったK-1のトップスター、武尊と、RIZINの舞台で、ボクシング界のレジェンド、フロイド・メイウェザー・ジュニアとの異色のエキジビションマッチを戦うなど、一気に実力もネームバリューもカリスマ的になってきた那須川天心とのビッグマッチの実現だ。 武尊は、問題となった3月の大会の試合後、リング上で、「今こそ、こういう時だからこそ格闘技がみんなにパワーを与えると思う。団体とか関係なく日本中、世界中をもっと元気にしていきたい。必ずでかい大会をやります。その時はK-1とか他団体とか関係なく…頑張ります。格闘技最高!」と、涙のマイクパフォーマンスを行い、天心戦実現へ踏み出すことを示唆していた。 天心が主戦場にしている、キック団体「RISE」のトップも「やるとすれば中立団体のリング」と語っていたこともあり、RIZINの”格闘五輪”は、その理想的な舞台となるのかもしれない。 ただ、この日の会見では、サッカーなど他競技のようにWEBを通じた記者による質疑の時間は設けられておらず、RIZINの広報が、ファンがチャットで書き込んだ質問をピックアップするという形式だったため、忖度したのか、どうかはわからないが、メガイベントのネーミングの話題に終始。「武尊vs天心」戦の実現の可能性について榊原CEOが答える機会はなかった。