京都の伝統工芸はなぜ「絶滅の危機」に瀕しているのか:職人70人以上にヒアリングしてわかったこと(前編)
自動車業界に似た産業構造
ひとまず公開情報から手を付け、中央省庁や他の地方自治体の伝統工芸に関する調査レポートを参考にして背景情報を正確に理解するよう努めた。その後、他地域の伝統工芸に従事する人から話を聞き始めた。どうやら、職人、原材料、道具に問題があり、それらすべての根本原因は、経済的に持続可能ではないから、という結論に至った。では、どうすれば伝統工芸品が売れるようになるのだろうか。 京都に何度か足を運び、伝統工芸についての理解が深まった頃、知人のところで抹茶を振舞って頂いた。その時、こんな話を聞いた。「茶道は単に茶を飲むにあらず、総合芸術のような役割を果たす」。 実際、茶で客人をもてなすには、茶碗や茶筅のように茶を点てるために必要な道具のみならず、掛け軸や漆器、更には茶室や畳が必要だ。亭主はその一つ一つに意味を込め、客をもてなすのだ。茶道に限らず、無形の文化(芸能や祭りや暮らし)は様々な有形の文化(工芸)の束によって形づくられ支えられ、 逆に無形の文化はその興行・消費を通して有形の文化を支える。この話を聞いた時に、無形の文化と有形の工芸の関係性は、京都の文化の全体像を把握するための大事なポイントなのではないかと思った。 筆者は、商社の営業部で自動車部品の売買を担当していた頃を思い出した。自動車業界は、小さな部品を作るTier2、Tier2で作った部品を大きい部品に組み立てるTier1、そして最終的に自動車にするアセンブリに分かれている。足しげく通う京都という町が、豊田市のような自動車城下町みたいに感じられた。 それからと言うもの、京都の伝統工芸を真の意味で盛り上げるには、宗教(神道や仏教)、諸芸道(お茶やお花、能、狂言)さらには花街といった存在が不可欠なのだと考えるようになった。かんざし、着物・帯などを身に着けて祇園の町を華やかに歩く舞妓さんを見るたびに、「歩くレクサス」だと思って、本人ではなく身に着ける工芸品ばかり見ていたのはここだけの話だ。 逆に言えば、こうした全体像を把握せずに、工芸だけの販促を考えるのは、自動車の小さな部品だけ持たされて、「これをとりあえず誰かに売ってこい」と言われることに等しい。また、伝統工芸品の中には分業を敷いているところも多く、一つの品を作るのに何人、何十人もの手を経ていることも多い。例として適切ではないかもしれないが、自動車のEV化によって不要になった部品をどう転用するかの議論にも似ている。 このような話をすると、「それならば、アセンブリやTier1(ここで言う宗教や諸芸道の無形文化)が頑張ればいい」という話になりがちだ。もちろん彼らは彼らなりに伝統を守ろうと必死である。でも、歌舞伎や能狂言を見る人はどれだけいるだろうか? お茶やお花を習う人はどれだけいるだろうか? 個人で茶会を開く人はどれだけいるだろうか? 日常的に伝統文化に触れる機会のない人は、文化は一部の人たちの頑張りに支えられている側面があることを見逃してはいけない。結局、伝統工芸品、延いては伝統文化の存続は、日本社会全体が考えなければならない問題なのだ。 (つづく) 京都の伝統工芸はなぜ「絶滅の危機」に瀕しているのか:職人70人以上にヒアリングしてわかったこと(後編)
G7/G20 Youth Japan共同代表/東京大学先端研創発戦略研究オープンラボ(ROLES)連携研究員 徳永勇樹