京都の伝統工芸はなぜ「絶滅の危機」に瀕しているのか:職人70人以上にヒアリングしてわかったこと(前編)
残る京コマ屋は「私の店だけです」という答えに衝撃
さて、京都駅に着いて、まず疑問に思ったのは、「京都にある伝統文化ってなんだ?」ということだった。筆者のような東京人からすれば、京都は敷居が高い。「一見さんお断り」という言葉をはじめ、どこか格式の高そうな印象を与える街だ。いざ、日本の文化を学ぼうと京都に来てみたものの、どこから始めたらいいのかわからない。新型コロナの影響からか人影もまばらな京都の街を探索し始めた。 まずは京都といえば寺だ、と思い、修学旅行以来行かなかった有名な寺を一通り周った。しかし、何も手がかりがつかめない。龍安寺の石庭も1時間くらいじっと見つめたが、スティーブ・ジョブズのように何か革新的なアイディアが出てくるわけでもない。その後、神社、美術館、博物館と様々な場所を巡ったが、空を掴むようにうまくいかない。まずは、現場・現物だと信じて京都にまで足を運んでみたものの、やはり簡単ではない。一旦東京に帰って出直そうと思い、最後に足を運んだ伝統工芸の博物館で、ある運命的な出会いがあった。それが、京都の伝統工芸品「京コマ」を作る中村さん夫妻との出会いだった。 中村佳之(雀休)さんは博物館内で京都の伝統工芸品作りを実演されていて、その時、筆者がほぼ唯一の客だった。目の前で心棒に木綿を巻き付け、器用にコマを作っていく中村さんに、「自分は何をしに来たのか」さえ一瞬忘れて見とれていたが、気を取り直して京都に来た理由を説明し、伝統工芸について質問をした。中村さんは丁寧に答えて下さったが、その間も手を休めることなく、まさに手とコマが一体となっているような職人芸を見せてくれた。 会話も弾み打ち解けたところで、何の気なく、「京都にコマ屋さんはどれくらいあるんですか」と聞いたところ、その答えに衝撃を受けた。今思えば、この時の衝撃がこの取り組みを始める決定打になった、とも言えよう。中村さんの答えは「私の店だけです」というものだった。曰く、昭和初期には10軒程度のお店があったが、徐々にその数は減少していき、現在は中村さん本人と奥様のたった2人で作られている、ということだ。