京都の伝統工芸はなぜ「絶滅の危機」に瀕しているのか:職人70人以上にヒアリングしてわかったこと(前編)
「私が伝統工芸レッドデータブックを作ります」
恥ずかしながら、筆者は、京都に限っては、伝統文化は残っていくだろう、という勝手な思い込みを持っていた。筆者が仕事をしている時も、休日に遊んでいる時も、自分の実力でも何でもない日本の伝統文化を海外で褒められている時も、今日もどこかで誰かが支えてくれている。失礼な話だが、自分には関係ないけれど、誰かが何とかしてくれている、文化とはそういうものだ、と思っていた。 しかし、目の前に苦境に立たされている京都の伝統工芸職人がいる。しかも、京コマ以外にも、京都には職人が残り数人しかいない伝統工芸品は多い、ということだ。日本人ならば誰でも知っているコマだが、筆者が最後にコマで遊んだのはいつのことだろう。小学校で昔の遊びとしてヒモを使って回すコマの扱い方を習ったことは覚えているが、手で回す京都のコマのことは知らずに生きてきた。筆者がそうだということは、筆者の同世代やそれよりも下の世代は、こうした現状を知らない可能性が高い。 中村さんに、「京コマに限らず、京都の伝統工芸品全般の状況がわかる資料、見取り図のようなものはありませんか?」と聞いてみたところ、「多分ないのではないか」という。曰く、行政がそのような調査をしていたような気もするが、調査結果がその後どうなったかは知らない、と。中村さんに別れを告げた後、早速、自分のできる限りで情報を集め始めた。 まず、行政に連絡をした。京都市は市の伝統産業として74品目を指定しているため、何か情報があるのではないか、と思ったからだ。担当部局によると、「それぞれの工芸品についてまとめた調査はあるかもしれないが、全体を俯瞰している情報はない。しかも、そうした調査データはかなり昔のものなのでデータとしての価値はあまりなさそうだ」という回答だった。他にも、伝統工芸の専門家や博物館の担当者に話を聞いても、やはり同様の回答だった。文化の首都たる京都で、実は伝統工芸全体を俯瞰して見る人がいない、というのは意外だった。 京都は、コロナ禍前までは「観光公害」と言われる程に、国内外から観光客が殺到していた。伝統工芸に関心を持つ観光客も多いであろうにもかかわらず、誰が何を作っていて、今どのような課題を抱えているのかを把握できていないのは、機会損失という観点だけでなく、文化大国を自称する日本にとって問題なのではないか。その時筆者は、日本の伝統工芸について知りたい、という思いに加え、そうした資料を作らなければならない、という謎の義務感に駆られた。何の伝手もないし知識もゼロだったが、挑戦したいという気持ちが高まった。 その後も、趣味の範囲で何人かに伝統工芸の話を聞きに行ったのだが、その中に1人、「ほな、あんたが作ったらどうや」と言ってくれた人がいた。後で聞いたら、まさか筆者が真に受けるとも思わず、「そういうのがあったらいいのにね(まあ、あなたには無理だろうけれど)」位の京言葉で言ってくれたらしいのだが、こちとら、「上洛」したての愚直な東男である。特に深く考えずに、「なら、私が京都の伝統工芸のレッドデータブックを作ります」と声高に宣言してしまった。 しかし、ここからが本当に大変だった。京都市が指定する伝統産業74品目のうち、68品目が伝統工芸品のようだが、名前だけ見てもそれが何であるかすらわからないものも一部含まれていた。また、調査と言うからには解き明かしたい仮説があるべきだ。しかし、当時の段階では「伝統工芸品が存続の危機にありそう」程度の認識しかなく、具体的にどのような部分で課題を抱えているのかがわからない。そして、何より中村さん以外の職人さんを知らない。勝手なイメージだが、気難しそうな京都の伝統工芸の職人が、私のようなドがつく素人の話に耳を傾けてくれるのだろうか。