阪神・青柳晃洋、メジャー挑戦を電撃表明 球団がポスティング容認 マイナー契約も辞さず
阪神・青柳晃洋投手(30)が5日、今オフにポスティングシステムを利用して米大リーグ移籍を目指すことを表明した。球団がポスティングシステムの利用を容認したのは2006年オフの井川慶、22年オフの藤浪晋太郎に続き3人目。青柳は鳴尾浜で取材に応じ「元気なうちに挑戦させてほしいと球団に伝えた」と明かし、マイナー契約も辞さない姿勢を示した。 【写真】観戦に来ていたちびっ子を抱えて階段ダッシュをする青柳 破格の条件でドジャースに入団した山本とは違う。メジャー契約でなくても構わない。いばらの道が待っているのも覚悟の上だ。青柳が米球界挑戦への思いを語った。 「ポスティングは球団の権利なので、わがままを後押ししてくれて感謝しかない。メジャー契約でいけたらベストだけど、そんなに甘くない。ここ2年、日本で活躍していないのはわかっているが、自分の実力さえあれば上がっていけると信じていきたい」 帝京大から2016年ドラフト5位で入団。右サイドからの変則フォームで21年、22年と2年連続で最多勝と勝率第1位に輝いた。だが、23年は8勝、今季も制球難に苦しみ、わずか2勝しか挙げられず、シーズンの半分は2軍暮らしだった。 「向こうに行ったら自分が一番下だと思う。(ドラフト5位で)入団した当時、一番下手くそで(実力は)下だと思ったところからどんどん上がっていけるように頑張れたら」 今回の米挑戦への思いも屈辱から始まった。侍ジャパンとして出場した21年の東京五輪だ。登板は2試合で1回⅔にとどまり、防御率27・00。日本の金メダルも素直に喜べず、同年オフの契約更改で、球団に米球界への移籍願望を伝えた。 「全く通用しなかったのが悔しかった。WBCの日本代表にも選ばれず、(米球界に)挑戦したいという思いがさらに強くなった」 順調なら10年目となる来年にも国内フリーエージェント(FA)権を取得する可能性もあったが、米球界に挑戦するためには、もう1年、日本でプレーしなければならない。 「体が元気なうちに挑戦させてほしいと球団に伝えた。お金が欲しいだけなら日本に残った方が儲かる。それよりも野球選手として後悔がないように。奥さんも背中を押してくれた」