意外と知らない、人類はこれまで「睡眠」について何を考えてきたのか
睡眠という現象
睡眠は、私たちの体で起こっている生理現象である。自然科学の視点から、睡眠という現象を定義することはできないだろうか? そんな取り組みを最も初期に行ったのは、哲学者のアリストテレスだろう。彼は2000年以上も前に、睡眠とは「ヒトをはじめとした動物が瞼を閉じて、運動を停止する状態」だと述べた。そしてヒトに限らず、ウシやウマも同じように眠ると言った。 睡眠中には、瞼を閉じて動かなくなるというのは、間違いではない。しかし、論理的に「必要十分条件」を考えてみると、「眠っている→瞼を閉じている」というのは概ね正しいが、「瞼を閉じている→眠っている」とは限らない。空寝の場合があるのだ。 私は幼い頃、眠ることが好きではなかった。幼稚園に通っていた頃だっただろうか。自宅で母から、「少し昼寝をしたら?」と言われ、昼寝をすることになったのだが、私は絶対に眠りたくないと思っていた。昼寝は、時間の無駄だと思っていたのである。 そのとき、私はどうしたかというと、目を閉じて体も動かさずに眠ったふりをして、数分経ったら目が覚めたように装おうとしていた。何とも演技派の子どもだったのだ。そうやって空寝をしているとき、私の中には「今、眠ったふりをしている。動いてはならない」という意思があった。起きているときには、「起きている」と自覚することができる。そして、さまざまな注意を払うことができるのだ。それに対し、眠っている状態では、そうした意思や注意が失われる。 起きているのか、眠っているのか──起きていることを内部的に自覚することができたとしても、外部からそれを推し量るのは、案外難しい。ヒト以外の動物になると、なおさらである。 私の生まれ育った家には、ブラームスという名の白い日本犬がいる。柴犬よりも一回り大きいくらいの中型犬だ。私がブラームスのピアノ曲を練習している時期に、縁あって家にやってきたことからそう名付けられたこの犬は、一人っ子の私にとってまるで兄弟のような存在だった。ブラームスの素振りをよく観察していたものだ。 普段家の中で過ごしているブラームスは、1日の大半を眠って過ごしているように見える。四つ足で立っている時間は、少ないのだ。立って動き回るのは、散歩の時間が近づいてそわそわしているときや、ご飯のにおいがするとき、来客があったときくらいだろう。では、それ以外の時間は何をしているのかというと、寝そべって庭の様子をうかがっているときや、瞼を閉じているときがある。瞼を閉じていても、物音がするとすぐに目を開くときもあれば、呼びかけても応えてくれないときがある。稀に夢をみているのか、うわ言のように吠えているときもある。ブラームスが、いつ眠って、いつ起きているのか?見分けるのはとても難しいのだ。
金谷 啓之