「沖縄密約文書」不開示に 情報公開の立証責任とは? /早稲田塾講師 坂東太郎のよくわかる時事用語
沖縄返還をめぐる日米間の「密約文書」の開示を求める情報公開訴訟で、最高裁は原告である元毎日新聞記者の西山太吉氏らの上告を棄却し、文書の不開示が確定しました。この裁判では文書の存在の立証責任なども焦点となっていました。そもそも「沖縄密約」とは何だったのかや判決の変遷について振り返ってみましょう。
「沖縄密約」と「西山事件」
1978年、毎日新聞の西山太吉記者が71年の沖縄返還協定で交わされた日米間の「アメリカ側が負担すべき沖縄返還に伴う土地復元補償費400万ドルを日本側が肩代わりする」という密約情報を外務省極秘電信文をもとに入手し、そうと示唆する記事を書きました。東京地検特捜部は同省の調査で自分が情報源と告白した入手ルートの同省女性職員を「(国家公務員を)そそのかした」者(国家公務員法111条)として西山記者を逮捕・起訴しました。 東京地裁は無罪を言い渡したものの東京高裁がその罪状で懲役4月執行猶予1年の有罪判決を下し、最高裁も上告を棄却して有罪が確定します。 その時に示されたのが報道機関が公務員から国家機密を聞き出す行為は「真に報道の目的から出たものであり、その手段や方法が法秩序全体の精神に照らし相当なものとして社会観念上是認されるものである限りは、正当な業務行為」であるも西山事件そのものは「正当な取材活動の範囲を逸脱し違法性を帯びる」とされた「刑罰法令に触れる行為」で、「社会観念上是認」できない内容とされ有罪の根拠となりました。 西山事件は検察側が一貫して女性職員と記者の不適切な関係を訴え、密約があったかどうかはいつの間にか雲散霧消して取材手法がスキャンダルめいた社会的問題として広がっていきます。毎日新聞も道義的観点から謝罪し、記者を休職処分としました。
米公文書見つかり国家賠償訴訟
ところが2000年と02年にこの密約があったとした米政府の文書が米国立公文書館で見つかりました。合意の存在と、それがばれないよう日米間で口裏を合わせる内容です。 密約が事実だとすれば日米関係を揺るがしたはずの大問題で記者の処罰は相対的に小さくなるか意味をなくします。西山氏は05年「密約を否定した当時の判決は誤りで不当な起訴で名誉を棄損された」として国家賠償を求める訴訟を東京地裁に起こしました。 06年には当時日本側の交渉責任者だった吉野文六・元外務省アメリカ局(現北米局)局長が新聞の取材で密約を日本側政府関係者としては初めて認めます。しかし裁判は東京地裁・高裁とも西山氏敗訴、最高裁も08年に棄却して敗訴が確定しました。裁判所は一貫して密約の存在・不存在について触れず、不法行為から20年たつと賠償請求権が消える民法の規定で訴えを退けています。