素材を変えて価格は約2倍に値上げ、ポーターが看板商品の大胆リニューアルに踏み切った事情
ものを運び出している人々の様子を見て、「カバンは、荷物を運ぶ道具としての役割をしっかり果たすものでなければならない」と、29歳で吉田鞄製作所を設立した。使うほどに馴染み、永く愛用してもらえるカバンを人々に提供することを標榜した。 ポーターが登場したのは1962年。このネーミングは、お客のカバンを預かるポーターは、本当のカバンのよさを知っていることに由来している。当時、日本のメーカーがオリジナルでブランドを作ることが珍しい時代だったが、「どういう会社が思いを持って作ったのかを伝える必要がある」という意図から、あえて自社ブランドを作ったという。
吉田カバンが初めて手がけ、その後、世の中に広まっていったものは少なくない。マチの部分にファスナーをつけ、マチを拡張させ、鞄の開閉によって容量を変えられる構造や、黒いナイロン地だけでカバンを作ったこと、面ファスナーを起用したこと、光を受けて反射する素材を用いたことなど――進取のことに果敢に挑戦してきた。「遊び心というか、冒険心を持ちながら、よりよい、使いやすいカバンを作ってきたのです」(吉田さん)。
■耐性や質感を担保しながら量産も可能に 真髄にある吉田カバン“らしさ”とは何なのか。「社内だけでなく、携わっている工場や職人さんも含め、誠実に愚直に、よりよいもの作りを目ざしていく。そこに尽きると思います」。 当たり前のことと思ってしまうが、そうではない。例えば100%植物由来のナイロン素材についても、吉田カバンとしての耐性や質感を担保しながら、量産しても安定したクオリティになるよう、工場と一体となって試行錯誤を繰り返した。
あるいはジッパーの引き手に少し角度を付けると、負荷が減って開け閉めしやすくなると考え、細かい工夫を何度も重ね、満足のいくものを作り上げた。 “誠実で愚直”を土台としながら、進化するための労を惜しまない――その姿勢こそが、吉田カバンらしさなのだろう。しかもそこには、かかわる人への尊敬と感謝、仕事への誇りが感じ取れる。「お天道様が見てるから」という日本人の道徳観のようなものが見え隠れもしている。 吉田さんはまた「長く使ってもらうことで、思いがたくさん詰まっていく。そんなカバンを目指しています」という。自身も20代でイタリアに渡った時に使っていたタンカーに、その頃の嬉しさや悔しさといった記憶が宿っていて、今も愛用している。