世界399台限定 創業55周年の特別な「フェラーリ」をデザインした日本人・奥山清行の軌跡(レビュー)
フェラーリ・エンツォやマセラティ・クワトロポルテを手がけたことで知られる奥山清行さんのデザインワークの神髄に迫った一冊『奥山清行 デザイン全史』(新潮社)が刊行された。 いつもエンピツを握っていた少年時代からインダストリアル・デザイナーとして成功するまで奥山さんが探求してきたものとは何か? 自動車雑誌「NAVI」「ENGINE」やカルチャー誌「GQ JAPAN」の編集長を務めた鈴木正文さんが綴った書評を紹介する。
鈴木正文・評「スペシャルなフェラーリをデザインした日本人の物語」
奥山清行(またはケン・オクヤマ)は、山形県山形市で鉄道専門の土木建設業を起業した父親のもと、1959年に一家の長男として生まれた。物心ついたころから鉛筆を握ってひたすら絵を描いていたという少年は、毎日曜の午後6時からNHKテレビで放映されていた人形劇「サンダーバード」に夢中になった。イギリス制作のこの特撮ドラマでは、「国際救助隊」の面々が、「サンダーバード」と呼ばれる原子力推進の超音速ロケット機を駆使して地球上のあらゆる場所に急行し、人命救助にかけつけた。自宅近くの山形大学教育学部附属小学校に入学した奥山少年は、番組がはじまるとテレビの前にスケッチブックと粘土を置き、「放映されている60分のあいだに、自分の好きな乗り物をスケッチと3Dモデルとして完成させ」(本書より。以下引用符内はすべて同様)たという。 奥山少年は、近くの河原で見つけた綺麗な流線形の流木を削るのも好きだった。しかし、「そのうちどこかで、綺麗なだけでは物足りなくなってくる」。そして、「見る人の神経を逆撫でするような、エモーショナルなかたちを、自分の身体が覚えていった」と、語る。「フェラーリをデザインした唯一の日本人」(本書帯文)といわれ、世界でもっとも有名な現役自動車デザイナーのひとりとなったケン・オクヤマは、本書中で、「クリエイターというのは、どこかの段階で、理に適ったものを壊したくなる」と述べる。少年・奥山が、すでにそうだった。 後に奥山がデザインしたフェラーリは、フェラーリ社が創業55周年を記念して2002年に発表した、創業者の名前そのものを車名に戴く「エンツォ・フェラーリ」である。世界限定で399台のみが発売され、たちまちのうちに売り切れた。この特別なフェラーリは、世界自動車史における記念碑的モデルであるばかりか、現代イタリア文化の精華でもある。 エンツォ・フェラーリのプロジェクトが密かに進行していた1998年当時、奥山は、フェラーリの傑作モデルを数多くデザインしてきたイタリア屈指の自動車デザイン・製作会社(カロッツェリア)であるピニンファリーナ社所属のデザイナーだった。同社のデザイン・ディレクターだった上司のロレンツォ・ラマチョッティは、このスペシャル・モデルのために、申し分なく美しい「理に適った」デザインを提案していたという。しかし、それは、フェラーリ社トップのルカ・ディ・モンテゼーモロの意にそうことなく、ピニンファリーナは、あやうくプロジェクトから外されそうになった。このとき急遽、ラマチョッティは、奥山の手になるデザイン・スケッチをモンテゼーモロに差し出し、それがかれのメガネにかなった――。と、フェラーリ・マニアならずとも引き込まれずにはおかない裏話は、ほかにもいくつも語られる。 話を戻そう。奥山少年は英語教育の充実した山形大学教育学部附属中学校に進学し、そこで外国人教師や留学生のネイティヴな英語にふれる機会をもったことも手伝い、「サンダーバード」に夢中になったときからの海外への憧れをいっそう強め、留学を夢見るようになる。武蔵野美術大学の「視覚伝達デザイン学科」を卒業するが、多くの同窓生のように大手広告会社などに就職して会社員グラフィック・デザイナーになるよりも、「とにかく日本から逃げ出したい一心」だった。「行き先は、海外であればどこでも構わなかった」。 こうして、まずは1年間をメドに、カリフォルニアの語学学校に通う生活をはじめる。しかし、1年を経ずして、パサデナの「アートセンター・カレッジ・オブ・デザイン」の存在を知ると、自動車デザイナーになる志を立て、同大学に首尾よく入学した。夏休みも返上して猛勉強に打ち込み、卒業すると、当時世界最大の自動車会社であったGM(ジェネラル・モーターズ)にデザイナーとして迎えられ、さらに、ポルシェ社、ピニンファリーナ社で要職を経めぐり、母校であるアートセンター・カレッジ・オブ・デザインのトランスポーテーション・デザイン学部長をも務め、2007年には「ケン・オクヤマ・デザイン」(KOD)を創業し――とつづく、地球儀をまたぐ遍歴と数奇な体験の物語が、かれがデザインしてきた自動車や諸プロダクトの図版とともに、詳らかに語られる。 ほかのどんな自動車とも同質的であることを拒否することによって、自動車社会を活性化してきたフェラーリのなかでも、とりわけスペシャルな1台にとって、奥山ほど適任のデザイナーはいなかったことを、読者は、この本によって知るであろう。そして、そのデザイナーが、同質性への隷属的馴化をもってその「国民性」を揶揄されがちな日本人であったことは、現代と将来の日本人にとって一個の希望である。著者の田中誠司の努力を賞賛する。 [レビュアー]鈴木正文(編集者/ジャーナリスト) 1949年東京生まれ。慶應義塾大学文学部中退。海運造船の業界英字紙記者を経て、自動車雑誌「NAVI」(二玄社)の編集に携わる。1989年、同誌編集長。政治・社会・文化的な観点に立った、独自の編集方針を貫く。2000年、「ENGINE」(新潮社)を創刊。『スズキさんの生活と意見』は同誌に書きつがれた巻頭言を収録したものである。2012年「GQ」編集長に就任。著書に『○×(まるくす)』(二玄社 1995年)、『走れ! ヨコグルマ』(小学館文庫 1998年)などがある。 協力:新潮社 新潮社 波 Book Bang編集部 新潮社
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