「聴力ゼロの私」と「50万人に1人の難病の娘」障がいがあっても、それを言い訳にしない生き方
牧野友香子さん(36)は最重度の難聴で、飛行機の轟音も聞こえない。補聴器をつけても、人の声はまるで聞き取れないそうだ。 「気をつけていたのに、水を出しっぱなしで海外旅行に出発しちゃったとか、鍵を落としてもわからないとか、失敗はめちゃめちゃあります。でも、聞こえないのは生まれつきだから、しょうがないと諦めてます(笑)」 【写真】牧野友香子さんと夫、社会人1年目で出会い翌年23歳で結婚
“聞こえを言い訳にしない”
明るく笑う牧野さん。手話は使わず、相手の口の動きを読んで理解し、自分の口で話す。発声は驚くほど流暢で会話もスムーズだ。2歳から10歳まで8年かけて、1音ずつ発する訓練を受けた努力が実を結んだのだという。 「小さいころから両親に言われたのは“聞こえを言い訳にしない”ということ。だから、何でも挑戦したし、聞こえなくてもどうやったらできるのか、できる方法を探そうと考えるようになったのは、両親のおかげですね」 幼なじみと一緒に学校に通いたいと、ろう学校には行かず、地元・大阪の小中学校へ。天王寺高校から神戸大学に進み、ソニーに就職した。人事部で働きながら、友人とスノーボードやキャンプを楽しむなど、まさに青春を謳歌した。 キャンプで意気投合した男性と24歳で結婚。2年後に長女を出産すると、想像もしなかった壁にぶつかる。娘は50万人に1人といわれる骨の難病だった─。 「脚の長さが違うとか首の脊髄狭窄があるとか、手と脚が動きにくいとか、いろんな科の先生からすごい言われて。もうなんか、当時の記憶がないくらいショックでしたね。歩けるようになるのかとか未来が見えないから、不安がめちゃくちゃ大きくて……。 ただでさえ、人よりも大変な思いをしているのに、なんで自分の人生はこんなしんどいことばっかりなんだろうと、へこみすぎて育てる自信も持てなかったです」 絶望の淵から救ってくれたのは家族だ。夫はこんな言葉をかけてくれた。
「自分は友香子の味方だから、どんな選択をしてもいいよ。俺が育ててもいいし」 母も明るく言ってくれた。 「ほんまに無理やったら私が育ててあげる」 夫も母も、不安な気持ちをそのまま受け止めてくれたことが、すごくありがたかったと牧野さんは振り返る。 「もしそこで、『何言ってるの。母親なんだから頑張りなよ』みたいに励まされてたら、メンタルやられてたと思いますね」