【震災1年】日本の避難所いつまで雑魚寝:能登半島地震でも「生活の質」課題 台湾に学ぶ民間主導型
6年前の反省生かし「速度重視」
迅速な対応ができた背景には、17人が命を落とした2018年の花蓮地震の反省がある。 花蓮県の楊玉如科長は当時、政府側が緊急開設した避難所が大混乱したことを思い出す。「不安を抱えた人々が避難所になったスタジアムに押し寄せ、雑魚寝になり、非常に騒がしかった」。当時、医師として災害対応に当たった花蓮県の朱家祥衛生局長は「6年前は全てが混乱していた。災害救援の手順をよく知らない人ばかりで、入院患者向けの紙の問診票に記入するのにも時間がかかり、多くの問診票がぬれて汚れてしまった」と振り返る。 6年前の地震ではボランティア団体も全国から押し寄せ混乱した。人員を配置する専任の担当者がいなかったため、被災者の支援につなぐまでに多くの時間がかかったという。 この教訓を受け、花蓮県政府は「被災者に対する災害救助強化の実施要項」を改訂。災害後の通報の区別や責任、コミュニケーションの方法などを定めた。 最重要課題に位置付けられたのは「対応速度」。訓練では、行政だけでなく民間組織の役割も明確にし、いざという時に備えた。 それが今回の地震で、プライバシー配慮型テントの展開や民間団体による精神的なケアも含めた多様なサービス、温かい食事、バーコードによる被災者の病歴管理と人工知能(AI)による病理診断など、避難者向け支援の迅速な提供につながったという。災害時に支援が重複しないように調整する民間の「アドバイザー」の配置も効果的だったとされる。 台湾東部沖地震と能登半島地震は、規模も地域の特性も異なり、単純比較はできない。それでも、日本の課題を見い出すためにも台湾の取り組みとの比較は重要だ。
トップダウン、民間活用、情報共有
台湾の防災対策を研究テーマのひとつとしている兵庫県立大学の青田良介教授によると、台湾における対策には3つの特徴が見られた。 それは(1)トップダウンによる迅速な対応(2)民間の特色を生かした支援(3)クラウド上に構築した横断的な情報共有の仕組みだ。 まず(1)の行政トップの動き。花蓮県はトップの県長や幹部らが発災直後から被災現場や避難所を視察。状況を共有しながら、災害対策本部で対策を決定していった。中央政府も発災当日午後に副総統(副大統領)が現地入り、2日目には行政院長(首相)が被災者を前に支援方針を発表した。 青田教授は「部下から情報が上がるのを待つ首長だと、即座に対応できなくなる。自ら現地に赴き被災者と接することで事態を認識し、既存の方針にもとらわれず、即座にニーズに対応しようとする。被災者への励ましにもつながる」と指摘する。 次に(2)の民間による支援。台湾では従来から慈済基金会などの民間団体が、災害対応に関する経験やノウハウを蓄えており、今回も行政の指示を待つことなく、民間ならではの対応をスタート。避難所のテント設営や避難者の心のケアを実施した。 そうした民間団体に行政から支援を要請する仕組みも構築され、生かされた。日常的に自治体と民間側が顔を合わせ、災害時の避難訓練や研修を実施。どのボランティア団体がどんな支援を提供できるかを行政が事前に把握した。民間団体はそれぞれの得意分野を生かす。避難所には精神的なカウンセリングや食事、マッサージサービスの提供など多様なメニューが並んだ。 一方、日本では現地の社会福祉協議会がボランティアの受け入れの窓口を担うことが多い。能登地震も含め、被災地の状況が落ち着くまで自粛を求めることが通例になっているが、支援が手詰まりとなる例も多い。 (3)のクラウド上の情報共有の仕組みは、台湾ではEMICと呼ばれる。中央政府の各省庁、県、市町村など行政間の情報共有はもちろんのこと、一部はマスメディアや支援団体、市民などにも開放されている。これにより、末端の避難所で起きた問題や国の動きなどを照会することなく把握できる。青田教授によるとこうした情報のオープン化が、迅速な対応につながった。 内閣府によると、日本政府の支援物資に関する情報共有システムを利用可能なのは行政関係者だけ。能登半島地震では、行政関係者にも使い方が周知されていなかった。