大学准教授となった元楽天・西谷尚徳が語るプロ生活一番の思い出と、「野村再生工場」とは
【偽装スクイズからのタイムリーでお立ち台】 ── 田尾安志監督が1年で退き、2年目の2006年に野村克也監督が就任します。 西谷 6年間のプロ生活で一番思い出深いのは、ヒーローインタビューでお立ち台に上がったことです。2009年6月14日のセ・パ交流戦の横浜戦(Kスタ宮城)でした。5回裏一死一、三塁の場面で、1年に一度出るかどうかのサインが出たのです。 ── 何のサインだったのですか? 西谷 "偽装スクイズ"です。私はスクイズを失敗したフリをして、一塁走者は二盗に成功し、三塁走者はまんまと帰塁。一死二、三塁となったところで、三浦大輔投手から2点タイムリーを放ったのです。試合後、野村監督は「キャンプで地道に練習してきた成果が出たんや!」とご満悦でしたが、私は「でもオレ、一軍キャンプに呼ばれなかったけどなぁ」と心のなかでつぶやいていました(笑)。ただ、野村監督の作戦に偽装スクイズがあることは知っていたので、その練習を密かに積んでいました。この試合で3打点を挙げ、お立ち台で「いつも教えてくれている池山隆寛コーチのおかげです」と話せたのは爽快でしたね。 ── 野村監督に関して、ほかに印象深いことはありますか。 西谷 プレーすることにおいて、「根拠は何か」ということを大事にしていました。たとえば、打席でストレートを狙っているのなら、投手の球種がいくつかあるなかで、なぜストレートなのか。それは現在、私が大学のレポートや論文作成における講義のなかでの「主張、根拠、論証」の作法と相通じるものがあります。 【野村ミーティング】 ── 現役6年間で通算16試合に出場し12安打、打率.240、0本塁打、7打点、1盗塁の成績でした。 西谷 ある野球雑誌の「ドラフト答え合わせ」という企画のなかで、期待どおりの成績を挙げられなかった選手の例で、私の名前が出ていました(笑)。当時の楽天内野陣には、ホセ・フェルナンデス、リック・ショート(2008年首位打者)の外国人選手に、高須洋介さん、草野大輔さん、渡辺直人選手らがいて層が厚かった。私は特段、俊足ではないですし、長打力があるわけでもないし、守備も鉄壁というわけではない。そんななか、16試合すべてがスタメン出場であり、12安打を放ったというのは、自分的には意義深いものがありました。
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