【潜入ルポ】土佐熟女が「秘密の技」をほどこす、泊まれない旅館……高知「玉水新地」の存在理由を考える
30年以上はある
ここでお姉さんに玉水町のことをあれこれ探ってみる。 「玉水は全部で何軒ぐらいやってるんですか?」 「(小川の)上の方はここだけで、下の方はあと2軒ぐらいやりよると思う。あとは街の方」 「ああ、堺町にある旅館ですね。ずっとお姉さんは玉水で働いてるんですか?」 「ううん。堺町の方にもおった」 「玉水は何年ぐらい?」 「結構長い(笑)。もう10年以上おるかな」 「玉水は(お店)専属なんですか?(置屋形式で)他の場所から呼んでくるわけじゃなくて?」 「うん。ここはここのお店に女の子が何人かおる」 「何人ぐらいいるんですか?」 「一応、8人」 在籍は結構いるんだな。こういう場所はそもそも在籍の女の子がいなくて潰れるパターンも多いんだけど。 「この店は何年ぐらい前からあるの?」 「だいぶ前から(建物が)新しくて。建て替わる前から見たら多分30年以上はある。昔はここに大きな旅館が建ってたらしくて」
お遍路さんのために?
後で改めて玉水新地のことを調べた際、1984年の資料に載っていた地図にはすでにこの店の屋号が見受けられたので、おそらく30年ではきかないぐらいの歴史がある。 建物自体は建て直されたものだが、おそらく建て替わる前は立派な妓楼が建っていたのだろう。その時代の活況を写真でもいいので見てみたかったものだが、残念ながらこういった街の資料はなかなか見つからない。 たかが40年~50年前程度のことなのに。これが遊郭や赤線の持つ宿命であり悲哀である。 「年齢的には何歳の人からいるんですか?」 「玉水は30後半から」 「30代いるんだ」 「うん、ギリ(笑)」 あまり若い子を採用すると客がその子に集中してしまうから、熟女専門にしていると言っていた。主要顧客は地元のおじさんやお爺さんなのだろう。客は大体常連とのこと。 「旅館だけど泊まることはできないんですか?」 「うん。できん」 「堺町の方は昔泊まることできたらしいんですよ」 「昔はここもそうね、できたがね。10年以上前だったらまだ泊まれる子もおったき」 おそらく四国八十八ケ所巡りをするお遍路さん向けにこういった旅館が存在する側面があったのではないか。 安価で泊まれて、場合によっては女性とも遊べるというのは旅人の需要にかなりマッチする。 四国には古くからこうした文化が存在していたのではないかと推測する。 事実、最近まで四国4県の県庁所在地すべてにこうした旅館街、あるいは旅籠が存在していた(高松は数年前に廃業してしまった)。