エネルギー小国日本の選択(4) ── ABCD包囲網、石油の供給途絶と戦争
太平洋戦争へと続く「15年戦争」の始まり
そうした折に起きたのが1931年の満州事変である。日本の関東軍が中国の南満州鉄道を爆破した柳条湖事件をきっかけに中国軍と戦闘に入り、満州を占領、翌1932年には満州国を建てた。これが日中戦争、太平洋戦争へと続く「15年戦争」の始まりとなった。 1932年、国際連盟の命を受けたリットン調査団が事件の経緯を調べ、結果を報告した。示された解決策は「満州に中国主権下の自治政府を樹立」や「日中両国は不可侵条約、通商条約を締結」だった。しかし日本はこれを不服とし、1933年、国際連盟を脱退すると表明し、孤立を深めていった。 それまで通商航海条約を結んでいたアメリカとも急速に関係を悪化させていった。時の大統領はフランクリン・ルーズベルト(Franklin Roosevelt;1882~1945年)で、公共事業の拡大などを掲げたニューディール政策(新規巻き直し政策)を推し進めた。世界恐慌で混乱した自国経済の立て直しが急務だった。 アメリカに限らず、世界中が自国の窮状に喘(あえ)ぎ、混沌を極めていた時代とも言える。1937年の盧溝橋事件を発端に日中が戦争を始め、1939年にはアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler;1889~1945年)が率いるドイツがポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が開戦した。 日本は1941年12月にアメリカ、イギリスと戦争を始め、太平洋戦争となった。その背景にあったのがアメリカによる石油輸出全面禁止の決定だ。それまで石油輸入の約8割をアメリカが占めていた日本にとって、致命的な措置だった。さらにイギリスは日英通商航海条約の廃棄、オランダも日蘭民間石油協定の停止を相次いで取り決めた。それまでの関係国が次々と島国の日本に経済的なダメージを与え、「ABCD包囲網」(America, British, China, Dutch)を作っていった。 こうした日本の15年戦争、とりわけ太平洋戦争から終戦まで、政府は「電力は戦力」と国民に広く節電を呼び掛けた。次回はそうした総力戦体制下で、エネルギー産業がどのような変遷を辿ったかを見ていきたい。