【アジアカップ直前インタビュー】「もう、勝つしかない」“8年越しの雪辱”へ、吉川智貴の所信表明|フットサル日本代表
2016年、日本のフットサル界はどん底に突き落とされた。 「歴代最強」と言われた日本代表は、AFCフットサルアジアカップ準々決勝で敗退。その後のプレーオフにも敗戦し、アジアで5枠が用意されたW杯出場権を逃した。 「正直、帰りたくなかったし、誰にも会いたくなかった」 当時をそう振り返るのは、現在の代表メンバーで2016年の“地獄”を知る数少ない選手の一人、吉川智貴だ。 もう同じ過ちを繰り返すわけにはいかない──。 誰よりも強い覚悟を胸に宿すベテランに、今大会に懸ける思いを聞いた。 ※インタビューは4月6日に実施 取材・文=青木ひかる、伊藤千梅 編集=本田好伸
自分が日本代表になるとは思っていなかった
──アジアカップ開幕を前に、吉川智貴選手の言葉を通して日本代表の道のりを伝えられたらと思います。まずはご自身のことからお伺いします。吉川選手は大学からフットサルを始めて、ここまで競技を続けているイメージは最初からあったのでしょうか? いえ、フットサルを始めた頃は自分がここまで長くやるとは思っていませんでした。当時は自分が日本代表になるとさえ思っていなかったというのが正直なところです。 ──最初はサークルみたいな感じで始められたそうですね。Fリーグを目指したのはいつからですか? それはわりと早かったです。フットサルを真剣に取り組み始めて1年くらい。当時はfunf bein KYOTOという関西リーグのチームでやっていました。その時にバサジィ大分でプレーしていた西村竜司選手が練習に来てくれて「1回おいでよ」と誘われ、セレクションを受けに行ったのが大分に加入するきっかけでした。 ──そこから競技を突き詰めていった? サッカーとも全然違うこんなスポーツがあるんだと、おもしろさや深みにハマっていきました。でも、上にいくにつれてより難しさを感じました。おもしろいだけじゃなかったというか。どう言ったらいいかは難しいですけど、それでも、どんどん好きになっていきましたね。 ──そこから日本代表をどのくらいでイメージしたのでしょうか。 大分に入った時に、当時はノブさん(小曽戸允哉)やニブさん(仁部屋和弘)が若いながら代表に呼ばれていて、そこで刺激をもらって、すごいなと。最初は自分もいつかその舞台までたどり着きたいと、漠然とした思いをもっていました。 ──彼らはやっぱりスーパーな選手でした? そうですね。ノブさんは2008年のワールドカップのブラジル戦で、1人でサイドを駆け上がって1点を取っちゃいましたからね。僕が代表でW杯に行ったのは、その次の次ですし、当時からノブさんのことはすごいなと思っていましたね。