【アジアカップ直前インタビュー】「もう、勝つしかない」“8年越しの雪辱”へ、吉川智貴の所信表明|フットサル日本代表
新世代がつかんだ、アジアカップ優勝
──吉川選手が初めて代表に呼ばれたのは2011年でした。その時の気持ちを覚えていますか? 初めて呼ばれたのは、国内合宿で3日間のトレーニングキャンプでした。その時は若手枠で、合宿ごとに1人ずつ若い選手が呼ばれていたなかに僕が入ったような形でした。すごくうれしくて、やってやるぞと意気込んで行ったのですが、なにもできずにボロボロ(笑)。全然ダメだったんですけど、そこからは、やっぱりここに入りたいという気持ちで、より頑張るようになりました。 ですが、そこから全然呼ばれなくて、定着し始めたのは2012年のW杯が終わり、世代がガラッと変わるタイミングでした。2013年にもう1回呼ばれた時は、このチャンスを逃したらもうないと思って「やってやる。食らいつくぞ」という感じでしたね。 ──世代交代した2013年の頃は、どんなチームの空気感でしたか? 監督は変わらずミゲル・ロドリゴで、空気感は僕と同じぐらいの世代が多かったので、やりづらいとかもなかったです。自分たちの23、24歳くらいの世代や、下の世代の(室田)祐希やパッシャン(西谷良介)もいましたね。みんなギラギラしていたと思います。 ──当時のミゲル・ロドリゴ監督はどんな人物でしたか? ミゲルは、優しい人でした。みんなの良さをしっかり出せるように、その選手の特徴をしっかり生かせるような戦術もそうですし、メンタル的な部分の話もすごく選手に寄り添ってくれる監督だったと思います。 ──そんな新世代が2014年にアジアカップ優勝を遂げました。 そうですね。僕は過去のことを忘れてしまうタイプなのですが、この時のことは鮮明に覚えています(笑)。日本としても初めてのアジアでのタイトルでしたし、フットサルを始めた頃なんて、自分がアジアチャンピオンになれるとは思ってもいなかったので、めちゃくちゃうれしかったですね。 ──その優勝は自信になったのでしょうか? アジアチャンピオンになって自信になったとかは、そんなにないですかね。自信になったというよりも、ただただうれしかったという感覚でしたね。