【アジアカップ直前インタビュー】「もう、勝つしかない」“8年越しの雪辱”へ、吉川智貴の所信表明|フットサル日本代表
「誰にも会いたくなかった」2016年の悪夢
──2016年の日本代表は「歴代最強」と言われていました。当時そう言われていることに対してどのように受け止めていましたか? 特になんとも(笑)。いいメンバーがそろっていましたけど、最強とかではなく、「個」がずば抜けていて、心強い仲間がいるという感覚でした。 当時、僕は名古屋でプレーしていて、代表チームにも名古屋の選手がそろっていました。だから日々の練習の延長にあるというか、特別な感覚はなかったかもしれません。 ──2016年の結果はアジアカップ準々決勝で敗れ、プレーオフも敗戦。W杯出場を逃したあの出来事は、想定外だったのではないでしょうか。 選手はもちろんですけど、代表チームのスタッフも、ファン・サポーターも、Fリーグの関係者も、Fリーグの他の選手もみんな、「間違いなくW杯には行ける」と確信していたと思います。ショックという言葉では片付けられないですね。本当に絶望しかなかった。 ──準々決勝の敗戦の翌日、5枠目をかけたプレーオフでも負けてしまいました。ガタっとチームが崩れてしまったのでしょうか? 準々決勝で負けた後は「まだある」と切り替えて試合に向かっていたと思います。試合前は「いけるだろう」という感覚もありました。 それでも、いざ試合が始まると、やっぱりうまくいかないというのがどんどん続いて。うまくいかない、うまくいかない……と思っているうちに、バタバタと崩れた。最終的にはもう立て直せなかったという感じでしたね。 ──それは、2014年にアジアカップを優勝したことで、周りの国も日本への対策をしてきたとか、チャレンジャーとして挑んできたことが大きかったのですか? もちろんそれはあったとは思います。でもそれ以前に、自分たちのなかでどこかで過信していたところがあったのかもしれない。負けた要因は他にもたくさんあるんですけど、一番は「大丈夫だろう」とどこかで思っていたこと。普通にやったらいけるだろうという感覚になっていたのかなと思いますね。それが一番ダメだったと、今振り返って思います。 ──開催地ウズベキスタンからの帰路はどんな気持ちでいたのでしょうか。 帰りたくなかったですね、正直。家族にも、誰にも会いたくなかったです。 僕は当時スペインでプレーしていたので、一度日本に帰ってからスペインに戻ることになっていたけど、そのままスペインに向かいたかった。本当に誰にも会いたくなかったですし、当時はもう、逃げるほうが絶対に楽だなと思っていました。 ──あの敗退で得られたことはありますか? 自分にとっては、本当にターニングポイントでした。ありふれていますけど、少しでも過信や緩い気持ちがあったら「終わる」ということ。身にしみて感じました。 しかも一番大事な、結果を出さなきゃいけない場面でそうなってしまったので。もう二度とそんなことがあってはならない。少しの緩みもダメだと、本当に学びました。 ──体の使い方やマインドにも変化はあったのでしょうか。 自分で言うのも変ですけど、昔からストイックに自分と向き合って高めることが好きなタイプでした。それでもどこかで緩んでいたのかもしれないと、終わった後に思いましたね。あの敗戦は取り返せないですけど、もう一度自分を見つめ直して、ゼロから積み上げていくしかない。1日、1日を大切に頑張ろうと、あの日から心を入れ替えてやっています。